私の家族は私だけ

精神的排泄物を吐き出す撒き散らす

『学年で一番太っている人』が見ている世界

どんなに小さな学校でも、『学年で一番』になるのは難しいことだ。

 

良いことで一番になるのは当然難しい。学年で一番頭のいい人、学年で一番運動の出来る人、学年で一番可愛い人…。頭がいいと言ってもテストの点数で決めるのか、頭の回転が早いかどうかで決めるのか。運動だって、足の速さか球技の上手さか。可愛さなんて特に主観に左右される。確固たる基準は誰も持っていない。

 

それに比べると、悪いことで一番になるのは簡単そうに見える。頭の悪い人、運動の出来ない人、醜い人。しかしこれにも確固たる基準はない。テストの点が低くても、雑談では周りをあっと言わせるほど機転の利く人もいる。運動だって、足は遅くても球技が上手い人がいる。醜さだって可愛さと同様、人によって感覚が大きく異なる。

 

では、一番太っている人はどうだろう。基準は一つ。見た目だ。もちろん体重という基準もあるが、日常生活で自分の体重を人に知らせる機会などそうないので今回は無視する。

 

見た目が太いほど太っており、細いほど痩せている。これは全国全世界共通の認識だ。

 

「自分はこのくらいまでは太っていると感じない」などの主観や、脂肪と筋肉の付き具合で判断が変わることはあっても、40kgの人間と90kgの人間を見比べたとき、40kgの人間の方を「こちらの方が太っている」と判断する人間はまずいない。

 

つまり『太っている』という状態に対する主観・客観の違いはほとんどないのだ。

 

しかも知能や運動能力とは違い、常に人目に晒される容姿という部分で判断されるものだから、逃げようがない。顔面の美醜も常に人目に晒されてはいるが、前述したように確固たる基準はない。

 

つまり、知能、運動神経、美醜などとは違い『学年で一番太っている人』は『常に、確実に』学年で一番太っている人、となってしまうのである。

 

そんな『学年で一番太っている人』だった私が見ていた世界について書きたい。だった、と過去形にしたのは痩せたからではなくもう学校には属していないからである。今現在も90kgあるので、多分『近所で一番太っている人』になったのではないかと思う。

 

※特定を避けるため、ここからの固有名詞や時系列、職業等の情報には嘘を混ぜます。

 

まずは私が太り始めた時期と原因について述べたい。時期は3歳頃、原因は家庭環境だった。

 

3歳頃に家族で父方の両親が住む田舎に引越した。父方の両親は靴やかばんの修理屋を営んでいた。父方の両親は様々な食糧を貰って暮らしていた。農家さんからはお米に果物、漁師さんからは魚、など。

 

ただ貰っているだけではない。お返しとして、その農家や漁師から依頼された仕事は全て無償でするという暗黙の了解があるのだ。驚くべきことに、平成になったというのに田舎で業を営む親しい人々の間ではまだ、ある種の物々交換が続いていたという訳だ。

 

そして私と両親も「(父方の両親)とこの息子と嫁さんと子供」として、そのシステムの一員となったのだ。

 

一方家庭内の環境はというと、少しずつ不穏な空気になり始める。元々私の両親は、結婚後に父方の田舎に住む予定などさらさらなかったのである。その理由を箇条書きにする。

 

・父とその父(つまり私から見た父方の祖父)は犬猿の仲

 

父親が新生活のためとバブル景気にまかせて都会(私達家族が田舎に来る前住んでいた街)にマンションを買った(当然ローン)

 

・母親は(マンションなんて高い買い物しなくても、堅実に賃貸で暮らしたいのに…)と思いつつ父親に押し切られ、貯金を崩してマンションの頭金にする

 

ではなぜ田舎に住むことになったか。こちらも箇条書きにする。

 

・バブル、終わる

 

父親は「田舎の両親を店から引退させ、自分が店主になって盛り立てれば、人生一発逆転チャンスがあるはず!」と思った

 

・母親(だからマンション買わなければ良かったのに…義両親と住むなんて…田舎で子育てなんて…)と不満はあるものの父親に押し切られる

 

こうして人間動物園が出来た暁には「こちらが『馬鹿』のつがいです」と檻に入れて展示したいような二つの生き物のせいで、私は3歳から20歳までの期間を田舎町の劣悪な家庭環境で過ごすはめになるのである。

 

ここで問題が一つ。事前連絡で「店は引退してお前に譲る」と父親に言っていたはずの祖父(私から見て。以後、全ての人物は私から見た呼称で表記します)が「やっぱり店を譲るのはまだ早い。俺の下でお前(父)を何年か鍛えてから店を譲る」と言い出したので激怒。

 

父は「約束が違う」祖父は「とにかく俺の弟子として働け」のぶつかり合いで犬猿バトルがスタート。

 

母親は常に義両親やその他田舎の人付き合いに気を使う日々。それでなくても初めて住む不便な土地。結婚の挨拶や孫(つまり私)の顔見せ等で数回しか訪れたことのない土地である。子供も幼いしストレスが溜まる。

 

犬猿バトルによって父の仕事もなくなりそうな状況。田舎では再就職も厳しい。家賃・水道光熱費(父方親戚のご厚意で無料で住ませて貰っていた)は無料、食費も物々交換でほぼ無料だが、貯金だって心もとない(マンションの頭金等が原因)。節約してもいつまで暮らせるものか…。

 

これらは両親にとっては自業自得であり、そんな馬鹿のつがいに産み出され育てられあらゆる迷惑を被った私だけがただ一人の被害者だと思っているし、今でも二人には死ぬ以上の詫びを見せて欲しいと心から願っているが、とにかくこの時二人が爆発的なストレスを抱えたことは、まあ事実である。

 

爆発的なストレスと強いられる節約とほぼ無料の食費。この条件が揃ったとき、人は何をするだろう。

 

そう。食べるのだ。理性なんてないかのように、ひたすら食べるのだ。貰った新鮮な海の幸と白米をバクバク。たまにおかずがない日も、白米に醤油やふりかけをかけてバクバク。

 

子供の私にとっても、食はもちろん快楽である。「食べたい」と言えば言っただけ貰える食事。親からすれば「食べ物くらいは我慢させないであげたい…」という『優しい』『親心』だったのかもしれない。

 

だがその結果、両親はもちろん私も常軌を逸した奇形レベルの肥満体型になったのだ。

 

最初に自分が太っていると気付いたのはいつか。はっきりと覚えていない。昔のことなので当然でもあるが、私は幼少期から中学3年生までの両親、主に父親と過ごした時間の記憶があまりないのである。その他の人と過ごした時間(学校や母方の両親の家に私一人で遊びに行ったとき等)の記憶はわりと残っている。

 

これはおそらく家庭環境のストレスにより『精神麻酔』がかかっていたからだと自分では思っている。この『精神麻酔』という語は私が勝手に名付けたものであり、また後日の記事で詳しく述べる予定である。

 

太っていると周りから言われ出したのは、幼稚園の頃つまり田舎に引っ越した1、2年後くらいであろうか。祖父母や近所の人に「ぽちゃぽちゃして…」というような肯定的表現で言われていた気がする。

 

表向きは明るく冗談ばかり言う性質の父も何かと「家族3人揃って同じ体型なんです、ハハハ」等と自虐ネタで知人を笑わせたりしていたと思う。そんな日々が続き、「自分は『太っている』んだな」とぼんやりとした理解をするようになる。

 

否定的に太っているという事実を突き付けられたのは小学校3、4年生であろうか。クラスメイトの男子が突然、ひどいあだ名で私を呼んできたのである。

 

本名をもじったものなのでそのまま書くことは出来ないが、例えば『山田花子』なら『デブ田肉子』といった感じだ。それも悪意のある調子ではなく、息をするように笑顔で。周りのクラスメイトも笑っていた。

 

私はとっさに笑顔を作り、「誰のことだよ~」とか何とか言ったのだと思う。少なくとも怒ったり泣いたりした記憶はない。私は普段、陽気で無神経な、いわゆる『デブキャラ』で、何を言われても口先一つ軽い冗談で返すキャラクターだったため、自分に悪意をぶつけられたからといって瞬時には怒ったり泣いたり出来なかったのだと思う。

 

そんな他人の言葉や、親と服を買いに行く際に子供服のサイズで一番大きい『160』がとてもきつくて着られないことや、大人サイズの服でも入らない場合があることなどから、徐々に「『太っている』とは醜く異常な状態であり、不便でもある」と気付き始める。

 

また、運動会や学芸会等の行事で写真や動画を撮られたときに、後ほど自分で自分の姿を見て「どうして私だけこんなに大きいんだろう!嫌だな、恥ずかしいな」と思うことも増えてきた。

 

そして中学校へ入学する少し前。中学校は制服があるので、指定洋服店に制服の注文をしなければならない。母親と二人で指定洋服店に行き、まずは既成品の中で一番大きいサイズの試着をさせられる。確かXLだったように思う。当時も90kgほど体重があった私。当然入らない。

 

洋服店のおばさんが「入らないね。特注だわ!特注!メジャー持って来て!」と奥にいる誰かに告げる。母は「あはは、特注ですか、はは…」と笑い泣きをした。娘の体型が奇形であるということのショックを笑って軽く済まそうとしたが涙が出てきたのだろう。

 

この女はとにかく自分の涙をこらえることが出来ないのだ。今回のようにショックなことでも、どうでもいいことであっても。顔から小便でも漏らすようにダーダー垂れ流す。それを見た私は涙に嫌悪感を覚えるようになった。おかげで人前で泣くことが出来ない。

 

この時ももちろんそうだった。私の方がよっぽど惨めで恥ずかしくて泣きたいのに、知恵遅れのように笑い泣く女と、メジャーでてきぱき私の体を測りながら「お嬢ちゃん大っきいからねえ~」と呑気に呟く洋服店の女に挟まれて不機嫌な顔をするしかなかった。

 

私はすぐにでも溢れ出てしまいそうな涙をこらえる際、『不機嫌な顔で黙る』以上の策を知らないのだ。今でも。

 

 

これだけ重度の肥満だと当然運動能力にも支障が出てくる。体育の時間は今でも思い出すだけで不快になるほどだ。

 

足が遅い。それどころか200mを走り切るのもやっと、400mになると後半は歩いてしまう。それでも肩で息をして喉はゼーゼー心臓はバクバク。女子が走る距離で一番長いのは800mだったか1kmだったか覚えていないが、そんなのはもうハナから走る気になれない。ダラダラと小走り、なのに終わる頃には全身が疲れていて校庭から校舎に戻るのもやっとだ。

 

そして何が一番嫌かというと、走り終えるまでにみんなが飛ばす「ガンバレー」の声。なぜ自分より足の速い人全員が見守る中走り続けなければならないのか。それが本当に惨めで苦しかった。

 

跳び箱も飛べない。私は未だにあの仕組みが分かっていない。なぜ箱の上に手をついている人間がその箱を越えて向こうに行けるのか。手はどこへ行ったのか。

 

マット運動も出来ない。倒立は首が折れそうだし、側転は手首が折れそうだ。デブが出来るのは前転と後転と開脚前転と開脚後転だけ。あと開始終了時の「はい」(Yのように両手を挙げる)。

 

球技なんてもうこの世のものではない。大抵の球技は一つの球をめぐって人間どもがワーワーやるが、そんなの危険以外の何物でもないではないか。

 

バレーボールは突き指発生源だし、サーブですら入れられない。ボールが取れないとバレー部の奴に怒られる。それならお前が分身して全部やってくれや。

 

バスケットボールはまず球が硬すぎる。しかもそれを床に叩きつけながら走っている人間に近寄るなんて恐怖が度を越えている。あとゼッケンが臭い。

 

バドミントンは羽根が当たると結構痛い。あとテニスもそうだけど、スマッシュ?(すごく強く打つやつ)やるときは事前に言ってくれ。危ない。

 

卓球は別にいいけど台を設置撤去するときに指を挟まないようにしようね。

 

そしてドッヂボール!あれほど恐ろしいものはない。内野になれば周囲を飛び回る球から逃げまどい、狭い四角の中を走るはめになる。その走っているときに同じ内野の奴に足を踏まれる。もはや球と関係ないところで悲劇は起きているのだ。

 

またそいつが運動に対して意識の高い奴だったりすると、靴の裏がごつごつした『地面をしっかり捉えられる靴』だったりするからめちゃくちゃ痛い。中学高校は指定の靴だったので助かったけれど踏まれるとやはり痛い。

 

そして球を当てられて外野に出ると、今度は飛んでくる球を掴んで投げて相手の内野を迫害し始めなければならない。外野が増えてくれば迫害が上手い奴にまかせて突っ立っていればいいが、「(相手に)当てたから(内野に)戻って!」等と言われて再び迫害される側に戻り四角の中走りまわり足を踏まれ球に当たり外野になり…が永遠に続くことになる。

 

とまあふざけて書いてみたものの、あの頃は本当に体育の授業が嫌で嫌でたまらなかったのである。周りみんなが「体育だー」なんて喜んでいることも含めて。

 

 

さて、こうして私は『自分は太っている』『太っているということは醜く異常な状態である』『自分は太っていることによって惨めで恥ずかしい思いをしている』というようなことを理論ではなく感覚で理解してきたのである。

 

では、なぜ痩せようとしなかったのか。ここに、おそらく普通~痩せ体型の人のみならず同じ肥満体型の人ですら理解できないかもしれない考えがある。当時の私は、『自分の体型は何をしようが一生変わらない』と思い込んでいたのだ。

 

TVで『奇跡の変身!100kgから53kg!』と事細かにダイエットの方法が説明されている番組を観る。親から「同級生の○○ちゃんが炭水化物抜きダイエットで痩せたんだって」と聞く。

 

しかし私は、やってみようともせずに「それは私には出来ないことだ」と思い込んでいた。面倒だから諦めていた、というのとも少し違う。確かに私が面倒臭がりであらゆる快楽に弱いことは否定出来ない。

 

でもそれよりもっと異常な考え、例えるなら違う生物の体についての話を聞いているような感覚しかなかったのである。「私は肥満生物だから、人間が痩せただの太っただのいう話は関係ない。普通生物のダイエット法は私には効かない」というような。

 

理論でそう思った訳ではない。ちなみに当時の私には理論という概念がなく、『考えたこと』というのは全て『感じたこと』でしかない。そんな「私は生まれてから死ぬまで太っている生物なのだ」という感覚が、脳の深くにこびりついていたのだ。

 

そんな感覚だから自分はもちろん、他人の体型のこともよく分からない。先述の『同級生の○○ちゃん』を見ても、痩せたという状態がよく分からない。興味がない、とか毎日見ているから分からない、というレベルの話ではなく、本当に『人間の体型の変化が分からない』のである。変化どころか、目の前の人が太りぎみか痩せぎみかもさっぱり分からないのだ。ただぼんやりと『人だな』と思って認識するだけ。

 

さすがに見ていて心配になるほど痩せすぎの人や自分と同じような重度肥満の人を見れば「痩せている」「太っている」と感じることが出来る。それは反対に言えば、よっぽど極端な体型の人でない限り私は「痩せている」とも「太っている」とも感じられないということなのだ。

 

だから鏡を見ても『自分が奇形といえるほど重度の肥満であること』について深刻に受け止めることが出来ない。「みんなが太ってるって言うし、自分でも大きいなと思うし、体重を計れば重いし、私は太ってるんだ。嫌だな。どうしてかな」信じられないことに、本当にこのくらいの感覚なのである。

 

そしてまた行事ごとに写真や動画を撮られ、自分の姿を見ては「私だけこんなに大きい!嫌だな、みんなからは普段こんな風に見えてるんだ…。」とショックを受け、恥ずかしくなり、でも『自分は肥満生物だから』という誤った認識があるのでどうしようもなく時が経つ、という流れであった。

 

その感覚は高校生になっても続く。そして高2の時、私は人生最大体重の110kgになる。自宅のアナログ体重計の針が『110』を示す度、さすがに焦りと恐怖が私を襲った。

 

だがその焦りと恐怖もTV等の『100kg以上の体重は本当に異常である』という扱いを見てのものであって、本当の意味で異常であるとは気付いていない。

 

それはともかく当時の私にとってその焦りと恐怖は本物である。しかし極限まで追い詰められた私がしたことは、食事を減らすことでも運動をすることでもなく「次に体重計に乗るときには数字が減っているように祈ること」だけであった。

 

なぜか。しつこく言う。『自分は肥満生物であり、人間が行うダイエットの通用する生物ではないから』という歪んだ認識が脳を支配しているからだ。

 

そんな祈りが通じたのか、現実的に考えるならそろそろ体が限界を迎えたのか、110kgになって以降私の体重は減り始めた。高校在学中はずっと100kg前後をうろうろしていたと思う。そして短大に入り、100kgを切って90kg台後半をうろうろし始める。

 

ちなみに私は高校でも短大でも『学年で一番太っている人』であり続けてしまった。しかも『自分と同じくらいの肥満の人がいたが僅差で一番』とかではなく圧倒的ナンバーワンデブであった。ナンバーツーから下は常に「太っているが、あくまで常識の範囲」レベルであった。これも当時の私には分からないことなので、あくまで今思い返してみての話だが。

 

 

そんな自分を肥満生物だと思い込んだ圧倒的ナンバーワンデブが、初めて『自分も普通生物、つまり人間であった』と知るのはいつか。今から3年前、22歳の春だ。さらっと書くと「糖質制限と軽い断食をして、1ヶ月で10kg痩せた」。

 

体重計が壊れたのかと本気で思った。新しく買ったデジタル体重計なので数値は小数点以下まで表示されるし、前回との比較も出来る。だから、毎日計ると毎日減ってゆくのが分かるのだ。怖かった。信じられなかった。でも、嬉しかった。

 

そして体重計は正常でありこれが現実なのだと知ってからは、心の中が喜びとやりがいでいっぱいになった。1ヶ月で10kg減った後はそれほど大幅な減量はなかったが、それでもそこから継続して最終的には86kgになったとスマートフォンに記録してある。

 

まるで阿呆のようだが、22歳にして初めて大真面目に「自分も他人と同じ生物、すなわち人間だった…」と気付き、心の底から感動した。

 

それから3年、今でもまだ85~90kgくらいをうろうろして今現在は90kgになっているので、厳密にはまだ人間になったと思ってはいけないのだろうが、それでも自分を肥満生物だと感じていた頃とは格段に意識が変わった。今では自分はもちろん、他人の体型もきちんと認識出来るようになった。

 

 

最後に、今回のタイトルは『『学年で一番太っている人』が見ている世界』としたものの、同じ境遇の方が全員同じ世界を見ているとは当然思っていない。ただ、外から見れば『太っている』と認識される子供には、周りが思うよりずっと異常な世界が見えているかもしれないという話である。

 

異常な肥満児を作ることはもはや虐待なのだ。異常に痩せ細った子供がいる家庭に比べ深刻に捉えられていないような印象があるけれども、異常な栄養不足も異常な栄養過多も『通常から大きく外れている』という点で等しく問題にされるべきだと私は思う。

 

当時の私は「TVや漫画の『デブキャラ』はいつも細かいことを気にせずモグモグ食べてヘラヘラしているのに、どうして同じくデブの私は同じようになれないのだろう。この心に刺さるトゲは一体何だろう。よく分からないけど、嫌な気持ちだ」と感じたこともあった。

 

 『自分が人間であり、心が傷付く』という当たり前のことも理解していなかったのである。

 

私の脳みそをここまで停止させたのは何なのか。それが次回書く『精神麻酔』である。

 

最後は今日のお詫びです。途中で運動全般をおちょくりながら批判してすみませんでした。運動関係者及び運動好きの皆さんになんとなくお詫びいたします。

 

<終>