私の家族は私だけ

精神的排泄物を吐き出す撒き散らす

愛のあるセックスをするな、死ね

私は愛情を知らない。愛情のないセックスだけ知っている。欲望を吐き出す相手として、人間ではなく肉人形を求めるセックスを知っている。

仕事の帰り道で高校生と思しきカップルとすれ違った。ちらっとしか見なかったが清潔感のある二人だった。

私はもう何年も前に高校を卒業してしまって、この先『学校帰りに』『制服を着て』『清潔感のある二人として』誰かと仲良く道を歩く事など一生ない。

カップルを見た瞬間にそれだけの事実がバーッと頭を巡った。ちらっとしか見なかった、は嘘だ。ちらっとしか見られなかった。泣きわめいてしまいそうだったから。

高校だけじゃない、制服だけじゃない。『(私は異性愛者なので)異性と』『相思相愛の状態に』なることさえ不可能だ。

嘘をつくな。相思相愛だけじゃない。『誰かに』『愛される』ことさえ絶対にない。

 

「概念さんは最近彼氏いたのいつ?」なんて、『相手からすれば』他愛もない質問を突然されて、熱湯どころか熱した油を浴びせられたようにうろたえ戸惑い、しかしその感情を決して顔には出さないように取り繕いながら「あー…1年前くらいですね」と引きつった笑顔を懸命に浮かべるのはもう嫌だ。

正直に「いたことがない」と答えるのも厳密には『正直』とは言い難い。正直に、と言うならば「彼氏はいたことないですが性欲と偽物の愛情に飢えて出会い系サイトで男性、といっても自分より20歳以上年上で世間的に見ても容姿が整ってはいないなという感じで会話もいまいち成り立たなかったりする男性に肉人形として穴だけ使ってもらったことはありますね」と答えるべきだ。でも、当然出来ない。

 

私が20歳のとき、出会い系で会った44歳の男に付き合ってと頼んだが断られた。

待ち合わせた場所から男の車に乗って、男の自宅に行った。男の家はタバコと生活臭と古い建物のにおいが混じった嫌な臭いがした。男はセックスの前に足を嗅がせてと言った。足を嗅いで方言交じりの言葉で「あまり臭いがしない。俺が鼻炎だからかな。物足りないな」と言いながらセックスに移った。

私はこのとき新卒で会社に入ったばかりだった。会社はいわゆるブラックで、何時間多く働いても給料が増えなかった。仕事内容も悪かった。今思えばその会社の私のいた部署は法律ギリギリのところで金を稼ごうとする商売をしていた。家では母と同居していた。母は頭も感覚も鈍く、いちいち私を苛々させた。それらのストレスから逃れようと選んだ道がセックスだった。

久々のセックスは快感だった。家の汚さと臭いも、男が黒と金の混じった長髪という私の嫌いな髪型をしていることも全て忘れてしまった。

セックスの途中で不安になる。このまま誰にも愛されずセックスの回数が増えていくのは怖い。本当はやめようと思っていたのに。また繰り返してしまった。

この人と付き合ってしまえば、『彼氏ができた』という事実ができてしまえば、少しは『まともな経験』になるかもしれない。

訳が分からなくなる。何も見えなくなる。気持ちいいと言いながらついでのように叫んだ。「ねえ、付き合お?」「えっ?」男が聞き返す。「私の彼氏になって…」私が繰り返す。「彼氏って言っても…」

方言交じりの口調で戸惑いながら断る男の態度に、私の意識がすうーっと冷めていった。24歳上の男に、こんな汚い髪色で顔も別に良くない、むしろシワと浅黒さが目立つ分実年齢より老けて見える男に、老けて見える癖に服装はやんちゃなガキみたいなこの男に、セックスしながら頼んでも交際を断られるような肉の塊がある、それが他でもない自分自身なのだと思い知らされた。

 

どうか世の中のセックスは全て愛などなくただの欲望の上に行われてほしい。相手に触れるその手に優しさや敬愛、慈しみの念など一つもあって欲しくはない。終わったあとに相手をよりいっそう愛おしく思うとか、大切にしたいと思うとか、そんな感情は一切抱いて欲しくはない。互いの本名も人となりも知らずただ棒と穴としての役目だけで散り散りになって二度と会うことも思い出す事もない間柄であってほしい。

私の経験したことのない、そしてこれからも生涯経験しない『愛情のあるセックス』なんてこの世に一つも存在しないでほしい。

 

カップルとすれ違う度、というより一定以上の年齢の男女二人連れとすれ違う度に思う。この人たちは愛情のあるセックスをしているのだろうなと。

初めてはお互いを思いやるように、相手の動き方や表情をいちいち気にして、思考や感情を通い合わせるように。

セックスだけじゃない、むしろセックス以上に多くの時間を一緒に過ごして徐々に互いのことを知って行って考え方、好き嫌い、口癖まで覚えるほどに……

セックスなんて関係ない、愛情が羨ましい。互いを人間と認めあって尊重し合える相手がいる事。私が肉親とすら叶えられなかったことだ。

羨ましい。憎い。悔しい。でも私が誰かなら、私と愛情を結ぼうとは思わない。醜い外見、歪んだ性格。

今嫉妬羨望と共にコンピューターのキーボードを叩きながらその左右差の著しい目に汚い涙を浮かべ、手元もおぼつかなくなり、鼻からはもっと汚い粘液がこぼれようとしながらも荒い呼吸に合わせ出たり引っ込んだりしている醜い化物とは。

 

カップルを見るだけで冗談ではなく体調が悪くなる私は病気なのだろうか、と思うこともあるけれども病気ではない。この世では病気かどうかは医者が決める。

20歳の時に「このままだと母親を殺してしまうかもしれないんです、治療して下さい」と駆け込んだ心療内科で「考えすぎですね」と軽い返答で薬もなく次の通院日も何も言われず追い払われた私は病気ではない。医者がそう言った。

苦しくて本当にどうしようもなくて、死んでしまおうとして毎日死に方を考えてそれでもやっぱり死ねなくて、完全に地に伏した心を懸命に起こして「もう一度『生きる』ことにしてみよう」と奮い立たせてやっと角度が1度、ほんの1度だけ起き上がった心を連れて行った心療内科で医者がそう言った……

 

性欲と偽物の愛情とを満たすためのセックスはもうやめた。今年2月でやめた。もう一生やめようと思う。

本当はタイトルの愛のあるセックスをするな、死ねは世の中の人ではなく私の両親にだけ届けばいいと思う。私が生み出される10か月くらい前の両親に。

死ね、お前らさえ死んでおけば私は生まれなくて済んだんだ。

 

<終>

人さし指を集める工藤静香

この記事ではいつもと全然違う、どうでもいい短めの話をいくつかします。

 

 

・『あたしこのパイ嫌いなのよね』の女の子、嫌いなのよね

 

ご存知『魔女の宅急便』で、ニシンのパイが届いたときにこのセリフを吐いた女の子のことである。おばあちゃんとお手伝いさんとキキが、古いほうのオーブンで一生懸命作ったパイなのに。そしてキキがずぶぬれになりながら届けたパイなのに。

いやまあそんなことは大した問題ではない。最近ネットでニシンのパイの画像を見たけど、確かにあまり美味しそうではなかったし。キキがずぶぬれになったのだって仕事だからしょうがないし。

そうではなくて、初対面の配達業者に対して届け物の愚痴をこぼせる神経が嫌なのだ。

現代におきかえてみよう。佐川やヤマトの人が嫌な荷物を届けに来たからといって、「私これ嫌いなのよね」と佐川やヤマトの人に向かって言うか?佐川さんもヤマトさんも「はあ^^;」と困惑するだけだろう。西濃さんも「知らんわ^^;」と言うだろう。

こういう、『その相手に伝えてもどうにもならない』『ネガティブなこと』を平気で口に出せる人間が嫌いである。『他者と向き合っている』という自覚がない。だから人の心にもずけずけと踏み込む。そして同じような人の心ずけずけ踏み込み人種と親しくなりいわゆる『リア充』の群れとなる。

この女の子もあの後「ちょっとー誰かこのパイ食べてよーゴミになるじゃん」などと言い、男の子はそれに対し「いらねーよ(笑)そんなパイよりこっちのパイがいい(笑)」とパイを揉む、そして「もー(笑)二階いこ(笑)」となって「どう?俺のニシン」

とにかく許さない。かといって私はキキのことが好きなのかというとそれも違う。キキの持つ、いい町でいい人に囲まれて育った真っ直ぐな人柄には嫉妬と羨望を感じすぎて吐きそうになる。

あとトンボに好かれているのが本当に腹立たしい。黒縁メガネ、空を飛ぶことに憧れるという趣味の良さ、自分で飛行自転車まで作ってしまう情熱と器用さ。彼は全てが最高な男の子ではないか。「魔女子(まじょこ)さん」などという可愛らしさと上品さの溢れる呼び方、もう目まいがしそうなほど素晴らしい。キキは本当にずるい。許せない。

というわけで、もしこの記事を読んだトンボ系男子がいらしたらぜひご一報下さい。ちなみに私の体重は90Kgなので、飛行自転車の後部座席に乗った場合は空を飛ぶどころか一瞬でタイヤがパンクします。

 

 

・カレー粉を買ってファッションリーダーになろう

 

洋服だけでなくアクセサリーやカバン、果ては聴いている音楽や読んでいる本までも真似されるほどの影響力を持った人たちがいるらしい。ファッションリーダーと呼ばれているらしい。流行はいつもその人たちから始まるらしい。

そんなファッションリーダーに憧れるけれど、ファッションセンスも影響力もないという人は結構いるのではないだろうか。私もそんな一人である。いや、ファッションリーダーというよりも、『何かが自分発信で流行る』感覚に憧れているのだ。

何かそのファッションリーダー感覚を味わう方法はないかと考えた。そして発見した。みなさんも試してみて欲しい。

まずはカレー粉を買う。一緒ににんじん、じゃがいも、たまねぎ、お肉、福神漬、らっきょうも買っておくと良い。そして家に帰る。そして、なんと、カレーを作るのだ。先にお米を炊いておくと良いだろう。出来上がったら美味しく食べる。方法は以上だ。そして数日後、あなたはファッションリーダーになる。

これだけでは分からない。どういう理屈か説明しよう。

あなたはこんな経験がないだろうか?家の近くを歩いているとき、「あ、カレーの匂いだ…。いいなあ、うちも今日はカレーにしようかなあ」そう、俗にいう『ご近所カレー連鎖』である。それを巻き起こしてやろうではないか。カレーを自分発信で流行らせてやろうではないか。

ファッションではないが確かにリーダーだ。ご近所の人があなたのカレーを真似たとき、あなたはもう立派なカレーリーダーと言っていい。作っている最中は換気扇をガンガンに回して窓を全開にし、何なら出来上がったカレーは玄関の前に立って食べても良い。

それを見たご近所さんに「うわっ、何だこいつ…、でもいいなあ、うちも今日はカレーにしようかなあ」と思わせればこっちの勝ちである。

ちなみに私も先週カレーを作ったが、未だにご近所からカレーの匂いは漂ってこない。みんな鼻が詰まっているのかもしれない。気の毒なことだ。

 

 

・人さし指を集める工藤静香

 

家にいるとき、よく歌を口ずさむ。歌詞が曖昧なのでところどころ鼻歌になったり、1番と2番がごちゃ混ぜになったりする。

この前は工藤静香の『嵐の素顔』を歌っていた。

1番に『人さし指 空に向け 鉄爪(ひきがね)を引きたい…』という歌詞がある。同じメロディで2番の部分は、『心細さ を集めて 波にほおり投げた』である。

もうお分かりだろう。

私は2番を歌っていたとき「人さし~指(あっこれ違う1番の歌詞だ) を集めて… あ…ンフッ」という状態になったのだ。

『人さし指を 集めて』。人さし指を集める工藤静香。面白いし恐ろしい。どうやって集めるのだろう。ちょうだいと言ってもらえるものではあるまい。集めるというからには相当な数が必要なのだろう。一人あたり2本しかとれない貴重部位だというのに。

保管の仕方はどんな風だろう。きちんと箱に入れて並べるのか、何本かまとめてビニール袋に入れるのか。工藤静香が集めるからにはキムタクも無関係ではいられまい。まさかその人さし指の件がばれてグループ解散の話に…

ちょっとした歌詞の間違いからこんなに想像が膨らんでしまった。私はもう工藤静香を見る度に(人さし指…)と思ってしまうだろう。これを読んだ皆さんもそうなるかもしれない。正直そうなって欲しい。一人ではもう抱えきれないのだ。

 

今後もたまに、こういうどうでもいい短文記事も投稿しようと思います。カテゴリは今回と同じく『どうでもいい』にします。…この報告こそどうでもいいか。

機能不全家庭に育った私は自らに精神麻酔をかけた

精神に麻酔がかかっていた期間がある。注射をされた訳でも、麻酔ガスを吸った訳でもない。私の脳が、「このままでは危険だ、感覚を鈍くしないと生きていけない」と判断した結果だ。

そんな『精神麻酔』がかかるとどんな状態になるのか、また麻酔が切れた後の状態について述べたいと思う。

 

※『精神麻酔』とは私の造語です。この記事は全て私の経験に基づく分析であり、医学的・生物学的な根拠は一切ありません。

 

では、精神麻酔がかかっている状態とはどんなものか。

まずは記憶。幼少期から中学3年生までの家庭で過ごしたとき、主に父親が同じ部屋の中にいたときの記憶があまりない。

それなのに学校で過ごしたとき、友人と遊んだとき、母方の実家へ一人で泊まりに行き、遊んだときなどの記憶はしっかりとある。私が何かの拍子に「そういえばこんなことあったよね」と話すと周りが「よく覚えているね」と驚くほどに。

 

そして友人など『対等な立場の人間』と関わるときの感覚。

本当に異常な話だが、私は他人にも自分と同じ感情や感覚があるということを考えもしなかったのだ。そもそも精神麻酔がかかった状態の私に『考える』という機能がなかったように今は思う。ただ『感じる』というだけだ。

だから当然のように『他人と自分は異なる生物である』と感じて、それを疑うどころか『自分が『他人と自分は異なる生物である』と感じている』ということにも気がつかなかった。

 

全てがやりたい放題で、相手の迷惑など気にしない、というよりここでも『相手に迷惑という感情があることすら意識できない』のである。

例を挙げれば、中学1年のとき友人5人くらいでカラオケに行った際、自分の曲を連続で5、6曲入れても平気だった。まともな感覚の友人が「ちょっと入れすぎー」とからかい気味に(しかし明らかに戸惑っていたと思われる)注意してきても、当時の私としては「え?なんで?何が?」という感覚であった。

 

では『対等でない立場の人間』、つまり両親や教師と関わるときの感覚はどうだったのか。

まず父親と関わる際の感覚。前述のようにこの人間と過ごした時間の出来事などの記憶はほとんど消えてしまっているのであるが、一部の記憶についてはおそらく一生忘れられないと思う。

 

感覚の説明の前に父親の性質について説明する。この人間は知能が高い。しかし精神における明暗の差が非常に激しい。躁鬱と表記するのがしっくりくるが、おそらく診断を受けていないので明暗と表記する。

明の状態は本当に朗らかで、何を話していても二言目には冗談に変えてしまう。「他人を笑わせるのが趣味であり喜びだ」と本人もよく言っていた。こんな風に書くのは本当に癪に障るが、客観的に見るとこの冗談もそんじょそこらのつまらないものではなく、ウイットを充分に含んだ本当に面白いものである。

 

ところが暗の状態になると一転、到底理解できない理由で激怒し始める。

昨夜まではいつも通り雑然としたリビングでいつものように冗談を言いながら酒を飲みご機嫌に過ごしていたかと思えば、今朝は起きるが早いか「おい!何だこの汚ねえ部屋!今すぐ片付けろ!まるで豚小屋だな、チェッ…」と怒鳴り散らす。

その散らかっている原因も、ほとんどが父親の飲み終えたビールの缶やグラス、食べ終えたつまみのゴミ、読み終えた新聞や雑誌だからますます理屈が通っていない。

私も子供心に(お前が散らかしたんだろ…)と思っていたことを覚えている。しかしそれを直接言うにはこの人間は恐ろしすぎた。ただ怒鳴るから、何をするか分からないから恐ろしい、それだけではない。

普段のつまり明状態のあの人間と今目の前で怒鳴り散らしているこの人間は確かに同じ人間のはずなのに、はっきりとした大きな原因もなく『機嫌』だけでここまで豹変してしまっているという事実が何よりも恐ろしかったのだ。

 

そんな日々はストレスの塊だった。父親が癇癪を起こす理由は分からない。時間も決まっていない。だから対策のしようがない。上記の例でいえば『父親が怒らないように部屋を片付けておく』も通用しないのだ。父親が自分で散らかして寝て起きたら癇癪が始まるのだから。では朝だけ気を張っていればいいのかというとそうではない。昼でも夜でも、『本当に、ついさっきまで』明状態だったのに突然癇癪が始まることはざらだった。

 

経験してもいない他人と自分の境遇を比べるなど失礼で馬鹿げた行為だと充分に承知しているが、私は明状態が一度もないような、終始むっとして少しでも何かあれば怒鳴りだすようないわゆる『昭和のお父さん』の方がまだましだったと思っている。

あまつさえ明るくひょうきんな父の顔を見せられると「こっちが本当のお父さんだ、怒っている時は間違いなんだ」と思い気を許してしまうからだ。

 

毎日望みもしないくじ引きをさせられているようなものだ。くじならばまだいい、選びようがある。でも親は選べない。産まれる前も、産まれた後も。だから当時の私は朝起きてから夜眠るまでずっと「今日は大丈夫でありますように、『本当の』『普通の』お父さんでありますように」と祈るしかなかった。

 

一方母親は、簡潔に言うと「歳を重ねただけの子供」であった。自分で私の父親という相手を選び結婚し子供まで作ったはずの母は、父親に対し私と同じように怯えていた。私を守ってくれようという意思を感じたこともあったが、実力が伴っていなかった。

父親を恐れた母が、私を理不尽に責めたこともよくあった。

 母はあるアニメが好きでずっと録画していた。たまたま父と私が二人でリビングにいた時にそのアニメの放映時間になり、ビデオの録画が始まったときのことだ。『普通の』状態の父親が「これ録画してんの?」と私に尋ね、私も何の気なしに「うん、お母さんが録画してるんじゃない?」と答えた。

それから数時間後か数日後か忘れたが、今度は母と二人になった際に「あんた、お父さんにお母さんが○○(アニメ)録画してるって言った?」と尋ねられたので、「うん」と答えると、「余計なこと言わないで。あんたが好きだから録ってるとでも言っておけばよかったのに」と責められた。これに類する「余計なこと言わないで」は本当に何度も言われたものだ。

この原因について、当時母から言われたのか自分で想像したのか定かでないが、父が母に「アニメなんか録画するな」などと言ったのだろう、という記憶がある。そしてそのとばっちりが私に来たという訳だ。

 

そもそも当時ビデオ録画については母が全て管理しており私はビデオ機に触れたこともそんなになく(ビデオ世代ではない方へ:ビデオ録画は現在のHDD録画と違いテープ交換など面倒な管理が必要で、他の人がうっかりいじると録画を失敗してしまうということもよくあったのです)、母が見たい時間に見て消してしまうから私自身そのアニメを見たことは数回しかなかった。

それを一瞬で臨機応変に(あ!お母さんが怒られるかも…私が録ってもらってることにしよう)と考え行動できる子供を求められても無理というものだ。そんなに賢ければ殺人を犯しても少年院で済む10代のうちにお前ら両親を殺していただろうから、むしろそんな知能を有していなかったことに感謝して欲しい。

 

さて、ここでやっと精神麻酔の話が戻ってくる。きっと私の本能だか何だか知らないが脳味噌の一部分はこう考えたのだろう。「いつまでもこの父親および機能不全家庭にビクビク怯えて暮らすのは生活の妨げになる。だから麻酔をかけて精神を鈍くし、怯えの感情を抑えよう」と。

そして記憶についても、「辛い時間の記憶はすぐに消し、その代わりに楽しい時間や安らげる時間の記憶を強く残そう」としたのだろう。でないと父親と過ごした日常の記憶がほとんどないのに学校や母方の両親の家(いわゆる『おじいちゃん家』)へ行ったときなどの詳細な記憶は残っていることの説明がつかない。

 

そうして私は自分の脳味噌に精神麻酔をかけ、一言で表すと『客観性』が全くない人間になってしまった。客観性がないということは、裏を返せば全てが主観でしかないということだ。

だから当時の私は親に説教されても先生に叱られても「どうやって終わらせようか」としか考えられなかった。「使った物を片付けろ」「忘れ物をするな」言葉の意味はもちろん分かる。

でもなぜ怒られるのかが分からない。だって怒られたところで直るものではないから。『物を片付けるのを忘れてしまったらそれはそれで直しようがない』『忘れ物も同じ、学校で使う物を家に置いてきてしまったらそれはそれでどうしようもない』

 つまり当時の私は『今の自分ができないことは何をどうしても永遠にできない』と、これまた思考ではなく感覚で思い込んでいたのだ。この感覚は前回の記事『『学年で一番太っている人』が見ている世界』にも通じるものがある。

とにかく、『できないことができるようになる』とか『失敗していたことが成功するようになる』という感覚が一切なかったのである。

 

これは前述した、理不尽なくじ引きのような父親との生活が影響しているとは考えられないだろうか。くじ引きには失敗も成功もない。ただひたすら『運』だけだ。しかも重ねて言うが、当時の私はくじを選ぶことすらできないのだ。

そんな状況で知らず知らずのうちに積み重ねられた無力感が私の生活全てを蝕んでいた、というのは決して大げさではないと思うのである。

 

当時の私がいかに異常な感覚を持って生活していたか、実例を挙げて説明したい。

中1の頃の私はあまりにも忘れ物が多く、担任から嫌というほど怒られていた。担任は男、担当教科は体育。またその怒り方も心を傷付けるようなものだった。

まず誰かが何かいけないことをしたと知るやいなや大声で怒鳴りクラス中をしんと張り詰めた空気にさせる。その心臓を刺すような沈黙の中で生徒を睨みつけねちねちと叱る。そんなやり方だった。

 当時の私は忘れ物や問題行動(といってもこれも故意ではなく精神麻酔のせいで他人の心が分からないゆえのことであったが)が多く、叱られる機会はクラス内でダントツだった。

いくら感覚が鈍くとも、クラス中に注目されながら叱られるのは恥ずかしく居心地が悪いので当然嫌だった。しかし、不思議な余裕があった。自分を睨みつける担任の目を睨み返し「はい」「はい」と答える余裕が。

 今の私ならば年上の男性なんてもちろん、子供に睨まれただけでも震えて目を伏せてしまうだろう。それは相手の心情を想像し、『他人を睨むほどの敵意が私に向けられているのだ』と実感しその恐ろしさに耐えきれなくなるからだ。

つまり、精神麻酔のかかっていた頃の私は今の私よりも『強かった』といえる。鈍感がゆえの強さが確かにあったのだ。

 

忘れ物に関してもう一つ。さすがの私にも「忘れ物を減らそう」という意識はあり、「なぜ私はいつも忘れ物をしてしまうのだろう」という疑問もあった。

そこで普通の人は寝る前にカバンの中身を確認すると思う。私も『寝る前にカバンの中身を確認する』という行為自体や、その行為が推奨されていることは知っていた。でも、やらなかった。

布団に入って「明日も忘れ物したら怒られるな」と不安に思う、そこまでは普通の感覚だ。しかしその次。「何で私はカバンの中身を確認しないんだろう…」と考えながら嫌な心臓の鼓動と共に目をつむり眠りにつこうとするのだ。今こうして書いていても全く理解ができない感覚だ。でも、事実だ。

 

だが、ここでまた先程のくじ引きの感覚を当てはめると理解できはしないだろうか。

当時の私にとって自分のカバンの中身すらも『くじ引き』だという感覚になってしまっているとしたら。寝る前にどれだけ教科書・ワーク・ノートを揃えようと意味がない。くじを引くのはカバンを開けるとき、つまり明日の朝学校に着いて授業を受けるときなのだから。

そう、当時の私は理屈ではなく感覚で、『自分の生活の根幹である『親』との関係が理不尽なくじ引きである以上、この世の全てのことはくじ引きだ』と思い込んでしまっていたとしたら。理解できてしまうのだ。少なくとも現在の私には。

 

では、そんな『ひどく鈍感で、それゆえに『強い』』私を作り上げていた精神麻酔が切れた時、私の身に何が起こったか。

その説明をする前に、私の経験した本当の麻酔の話をしたい。

小学2~3年生の頃だと思う。母に付き添われ歯医者に行った私は、下の歯を抜くだか削るだか忘れたが、とにかく下唇に麻酔注射を受けたのだ。治療が終わると下唇の感覚がない。前歯で噛んでも、爪でつついても何も感じない。当然のことだ。麻酔なのだから。

歯医者から出て家に帰る途中も、歩きながら下唇を噛む、触る。母から「あんまり触るんじゃない」と注意されても、面白さにはかなわない。自分の体の一部にスライムがくっついているような面白さ。噛む強さはどんどん増し、本当にスライムを噛むかのように遊んでいたその時。

「いたいっ!」麻酔が切れたのだ。散々噛んだ下唇には裂けたような(実際に裂けていたのかもしれない)じわりとした痛みが襲う。やがてじわりとした痛みは激痛に変わり、母の「だから言ったのに」の声を受け、先程までの軽率な自分を呪ってうずくまる他なかった。

 

もうお分かり頂けたかもしれない。精神麻酔が切れたときの私も、このような感覚になったということを。

私の精神麻酔が切れ始めた、つまり鈍い神経から正常な神経に戻り始めたのは高校1年生の時だった。きっかけについては本記事では割愛させて頂くが、ある出来事によって私は『客観性』を手に入れた。

そうなると『他人の中にも自分と同じような『人間の感覚』がある』ということを実感し、周囲の人が怖くなった。先程の例でいう、今まで麻酔で抑えていたじわりとした痛みが始まったのだ。

そこから私の中の『客観性』は急激に育ち始め、社会に出て働き始めたこともあり私の精神は驚くほどの変化を遂げた。それと同時に精神麻酔がかかっていた頃の自分がどれほど鈍感であったかを知り、それにより他人をどれだけ不快にさせ、傷付け、他人からどう思われていたかを想像するともう頭を抱えずにはいられないほどになった。

過去だけならまだいい、しかし一度自分の中の客観的感覚と向き合ってしまうと今度は『今対面している人間や出来事』あるいは『対面してはいないが私の言動を見ている人間』、『今後対面する人間や出来事』についての客観的感覚も育ってしまう。

誰かと話していても「自分のこの返答は相手を不快にし傷付けていないか、周りにいる誰かを不快にし傷付けていないか」ともはや病的に気にし始めてしまうようになった。

つまり私は『異常に鈍感な神経』から『正常な神経』ではなく、『異常に敏感な神経』になってしまったのだ。

 

この自分の経験を思い出し分析し、こうして精神麻酔という語を用いて説明できるまでになったのも本当に最近の、ここ1~2年のことである。ということはもしかすると私の精神麻酔は今も切れている途中、つまりこれからもっと神経が敏感になり、痛みが強まることもあるかもしれない。

 それでは精神麻酔のかかったまま生きていた方が幸せだっただろうか。ある意味ではそうだと思う。感覚が鈍かった頃の方が楽ではあったし、今現在感覚の鈍い他人を見ても羨ましいなと思うことがある。

 今も精神麻酔のかかっていた頃の自分の感覚を思い出す度に、本当に今の自分と同じ人間が経験したことなのだろうかと疑ってしまう。あまりにかけ離れた感覚のため、言葉や文章にしたくても考えがまとまらなくて苛々したり怖くなったりすることもある。

 

しかし精神麻酔がかかったままであれば、このように自分の異常な感覚やそれにより他人を傷付けていることを分析するどころか、気が付きもしなかっただろう。それはまるで、致命傷を負っているのに強力な麻酔のせいで「何か変な感じだな」としか思えず生き続けるようなものだろう。

同じ致命傷を負った状態ならば、麻酔を除けて強い痛みを感じてでも自分の傷と向き合っていく方が明瞭で良い、と私は思う。思うしかない。

 

<終>

『学年で一番太っている人』が見ている世界

どんなに小さな学校でも、『学年で一番』になるのは難しいことだ。

 

良いことで一番になるのは当然難しい。学年で一番頭のいい人、学年で一番運動の出来る人、学年で一番可愛い人…。頭がいいと言ってもテストの点数で決めるのか、頭の回転が早いかどうかで決めるのか。運動だって、足の速さか球技の上手さか。可愛さなんて特に主観に左右される。確固たる基準は誰も持っていない。

 

それに比べると、悪いことで一番になるのは簡単そうに見える。頭の悪い人、運動の出来ない人、醜い人。しかしこれにも確固たる基準はない。テストの点が低くても、雑談では周りをあっと言わせるほど機転の利く人もいる。運動だって、足は遅くても球技が上手い人がいる。醜さだって可愛さと同様、人によって感覚が大きく異なる。

 

では、一番太っている人はどうだろう。基準は一つ。見た目だ。もちろん体重という基準もあるが、日常生活で自分の体重を人に知らせる機会などそうないので今回は無視する。

 

見た目が太いほど太っており、細いほど痩せている。これは全国全世界共通の認識だ。

 

「自分はこのくらいまでは太っていると感じない」などの主観や、脂肪と筋肉の付き具合で判断が変わることはあっても、40kgの人間と90kgの人間を見比べたとき、40kgの人間の方を「こちらの方が太っている」と判断する人間はまずいない。

 

つまり『太っている』という状態に対する主観・客観の違いはほとんどないのだ。

 

しかも知能や運動能力とは違い、常に人目に晒される容姿という部分で判断されるものだから、逃げようがない。顔面の美醜も常に人目に晒されてはいるが、前述したように確固たる基準はない。

 

つまり、知能、運動神経、美醜などとは違い『学年で一番太っている人』は『常に、確実に』学年で一番太っている人、となってしまうのである。

 

そんな『学年で一番太っている人』だった私が見ていた世界について書きたい。だった、と過去形にしたのは痩せたからではなくもう学校には属していないからである。今現在も90kgあるので、多分『近所で一番太っている人』になったのではないかと思う。

 

※特定を避けるため、ここからの固有名詞や時系列、職業等の情報には嘘を混ぜます。

 

まずは私が太り始めた時期と原因について述べたい。時期は3歳頃、原因は家庭環境だった。

 

3歳頃に家族で父方の両親が住む田舎に引越した。父方の両親は靴やかばんの修理屋を営んでいた。父方の両親は様々な食糧を貰って暮らしていた。農家さんからはお米に果物、漁師さんからは魚、など。

 

ただ貰っているだけではない。お返しとして、その農家や漁師から依頼された仕事は全て無償でするという暗黙の了解があるのだ。驚くべきことに、平成になったというのに田舎で業を営む親しい人々の間ではまだ、ある種の物々交換が続いていたという訳だ。

 

そして私と両親も「(父方の両親)とこの息子と嫁さんと子供」として、そのシステムの一員となったのだ。

 

一方家庭内の環境はというと、少しずつ不穏な空気になり始める。元々私の両親は、結婚後に父方の田舎に住む予定などさらさらなかったのである。その理由を箇条書きにする。

 

・父とその父(つまり私から見た父方の祖父)は犬猿の仲

 

父親が新生活のためとバブル景気にまかせて都会(私達家族が田舎に来る前住んでいた街)にマンションを買った(当然ローン)

 

・母親は(マンションなんて高い買い物しなくても、堅実に賃貸で暮らしたいのに…)と思いつつ父親に押し切られ、貯金を崩してマンションの頭金にする

 

ではなぜ田舎に住むことになったか。こちらも箇条書きにする。

 

・バブル、終わる

 

父親は「田舎の両親を店から引退させ、自分が店主になって盛り立てれば、人生一発逆転チャンスがあるはず!」と思った

 

・母親(だからマンション買わなければ良かったのに…義両親と住むなんて…田舎で子育てなんて…)と不満はあるものの父親に押し切られる

 

こうして人間動物園が出来た暁には「こちらが『馬鹿』のつがいです」と檻に入れて展示したいような二つの生き物のせいで、私は3歳から20歳までの期間を田舎町の劣悪な家庭環境で過ごすはめになるのである。

 

ここで問題が一つ。事前連絡で「店は引退してお前に譲る」と父親に言っていたはずの祖父(私から見て。以後、全ての人物は私から見た呼称で表記します)が「やっぱり店を譲るのはまだ早い。俺の下でお前(父)を何年か鍛えてから店を譲る」と言い出したので激怒。

 

父は「約束が違う」祖父は「とにかく俺の弟子として働け」のぶつかり合いで犬猿バトルがスタート。

 

母親は常に義両親やその他田舎の人付き合いに気を使う日々。それでなくても初めて住む不便な土地。結婚の挨拶や孫(つまり私)の顔見せ等で数回しか訪れたことのない土地である。子供も幼いしストレスが溜まる。

 

犬猿バトルによって父の仕事もなくなりそうな状況。田舎では再就職も厳しい。家賃・水道光熱費(父方親戚のご厚意で無料で住ませて貰っていた)は無料、食費も物々交換でほぼ無料だが、貯金だって心もとない(マンションの頭金等が原因)。節約してもいつまで暮らせるものか…。

 

これらは両親にとっては自業自得であり、そんな馬鹿のつがいに産み出され育てられあらゆる迷惑を被った私だけがただ一人の被害者だと思っているし、今でも二人には死ぬ以上の詫びを見せて欲しいと心から願っているが、とにかくこの時二人が爆発的なストレスを抱えたことは、まあ事実である。

 

爆発的なストレスと強いられる節約とほぼ無料の食費。この条件が揃ったとき、人は何をするだろう。

 

そう。食べるのだ。理性なんてないかのように、ひたすら食べるのだ。貰った新鮮な海の幸と白米をバクバク。たまにおかずがない日も、白米に醤油やふりかけをかけてバクバク。

 

子供の私にとっても、食はもちろん快楽である。「食べたい」と言えば言っただけ貰える食事。親からすれば「食べ物くらいは我慢させないであげたい…」という『優しい』『親心』だったのかもしれない。

 

だがその結果、両親はもちろん私も常軌を逸した奇形レベルの肥満体型になったのだ。

 

最初に自分が太っていると気付いたのはいつか。はっきりと覚えていない。昔のことなので当然でもあるが、私は幼少期から中学3年生までの両親、主に父親と過ごした時間の記憶があまりないのである。その他の人と過ごした時間(学校や母方の両親の家に私一人で遊びに行ったとき等)の記憶はわりと残っている。

 

これはおそらく家庭環境のストレスにより『精神麻酔』がかかっていたからだと自分では思っている。この『精神麻酔』という語は私が勝手に名付けたものであり、また後日の記事で詳しく述べる予定である。

 

太っていると周りから言われ出したのは、幼稚園の頃つまり田舎に引っ越した1、2年後くらいであろうか。祖父母や近所の人に「ぽちゃぽちゃして…」というような肯定的表現で言われていた気がする。

 

表向きは明るく冗談ばかり言う性質の父も何かと「家族3人揃って同じ体型なんです、ハハハ」等と自虐ネタで知人を笑わせたりしていたと思う。そんな日々が続き、「自分は『太っている』んだな」とぼんやりとした理解をするようになる。

 

否定的に太っているという事実を突き付けられたのは小学校3、4年生であろうか。クラスメイトの男子が突然、ひどいあだ名で私を呼んできたのである。

 

本名をもじったものなのでそのまま書くことは出来ないが、例えば『山田花子』なら『デブ田肉子』といった感じだ。それも悪意のある調子ではなく、息をするように笑顔で。周りのクラスメイトも笑っていた。

 

私はとっさに笑顔を作り、「誰のことだよ~」とか何とか言ったのだと思う。少なくとも怒ったり泣いたりした記憶はない。私は普段、陽気で無神経な、いわゆる『デブキャラ』で、何を言われても口先一つ軽い冗談で返すキャラクターだったため、自分に悪意をぶつけられたからといって瞬時には怒ったり泣いたり出来なかったのだと思う。

 

そんな他人の言葉や、親と服を買いに行く際に子供服のサイズで一番大きい『160』がとてもきつくて着られないことや、大人サイズの服でも入らない場合があることなどから、徐々に「『太っている』とは醜く異常な状態であり、不便でもある」と気付き始める。

 

また、運動会や学芸会等の行事で写真や動画を撮られたときに、後ほど自分で自分の姿を見て「どうして私だけこんなに大きいんだろう!嫌だな、恥ずかしいな」と思うことも増えてきた。

 

そして中学校へ入学する少し前。中学校は制服があるので、指定洋服店に制服の注文をしなければならない。母親と二人で指定洋服店に行き、まずは既成品の中で一番大きいサイズの試着をさせられる。確かXLだったように思う。当時も90kgほど体重があった私。当然入らない。

 

洋服店のおばさんが「入らないね。特注だわ!特注!メジャー持って来て!」と奥にいる誰かに告げる。母は「あはは、特注ですか、はは…」と笑い泣きをした。娘の体型が奇形であるということのショックを笑って軽く済まそうとしたが涙が出てきたのだろう。

 

この女はとにかく自分の涙をこらえることが出来ないのだ。今回のようにショックなことでも、どうでもいいことであっても。顔から小便でも漏らすようにダーダー垂れ流す。それを見た私は涙に嫌悪感を覚えるようになった。おかげで人前で泣くことが出来ない。

 

この時ももちろんそうだった。私の方がよっぽど惨めで恥ずかしくて泣きたいのに、知恵遅れのように笑い泣く女と、メジャーでてきぱき私の体を測りながら「お嬢ちゃん大っきいからねえ~」と呑気に呟く洋服店の女に挟まれて不機嫌な顔をするしかなかった。

 

私はすぐにでも溢れ出てしまいそうな涙をこらえる際、『不機嫌な顔で黙る』以上の策を知らないのだ。今でも。

 

 

これだけ重度の肥満だと当然運動能力にも支障が出てくる。体育の時間は今でも思い出すだけで不快になるほどだ。

 

足が遅い。それどころか200mを走り切るのもやっと、400mになると後半は歩いてしまう。それでも肩で息をして喉はゼーゼー心臓はバクバク。女子が走る距離で一番長いのは800mだったか1kmだったか覚えていないが、そんなのはもうハナから走る気になれない。ダラダラと小走り、なのに終わる頃には全身が疲れていて校庭から校舎に戻るのもやっとだ。

 

そして何が一番嫌かというと、走り終えるまでにみんなが飛ばす「ガンバレー」の声。なぜ自分より足の速い人全員が見守る中走り続けなければならないのか。それが本当に惨めで苦しかった。

 

跳び箱も飛べない。私は未だにあの仕組みが分かっていない。なぜ箱の上に手をついている人間がその箱を越えて向こうに行けるのか。手はどこへ行ったのか。

 

マット運動も出来ない。倒立は首が折れそうだし、側転は手首が折れそうだ。デブが出来るのは前転と後転と開脚前転と開脚後転だけ。あと開始終了時の「はい」(Yのように両手を挙げる)。

 

球技なんてもうこの世のものではない。大抵の球技は一つの球をめぐって人間どもがワーワーやるが、そんなの危険以外の何物でもないではないか。

 

バレーボールは突き指発生源だし、サーブですら入れられない。ボールが取れないとバレー部の奴に怒られる。それならお前が分身して全部やってくれや。

 

バスケットボールはまず球が硬すぎる。しかもそれを床に叩きつけながら走っている人間に近寄るなんて恐怖が度を越えている。あとゼッケンが臭い。

 

バドミントンは羽根が当たると結構痛い。あとテニスもそうだけど、スマッシュ?(すごく強く打つやつ)やるときは事前に言ってくれ。危ない。

 

卓球は別にいいけど台を設置撤去するときに指を挟まないようにしようね。

 

そしてドッヂボール!あれほど恐ろしいものはない。内野になれば周囲を飛び回る球から逃げまどい、狭い四角の中を走るはめになる。その走っているときに同じ内野の奴に足を踏まれる。もはや球と関係ないところで悲劇は起きているのだ。

 

またそいつが運動に対して意識の高い奴だったりすると、靴の裏がごつごつした『地面をしっかり捉えられる靴』だったりするからめちゃくちゃ痛い。中学高校は指定の靴だったので助かったけれど踏まれるとやはり痛い。

 

そして球を当てられて外野に出ると、今度は飛んでくる球を掴んで投げて相手の内野を迫害し始めなければならない。外野が増えてくれば迫害が上手い奴にまかせて突っ立っていればいいが、「(相手に)当てたから(内野に)戻って!」等と言われて再び迫害される側に戻り四角の中走りまわり足を踏まれ球に当たり外野になり…が永遠に続くことになる。

 

とまあふざけて書いてみたものの、あの頃は本当に体育の授業が嫌で嫌でたまらなかったのである。周りみんなが「体育だー」なんて喜んでいることも含めて。

 

 

さて、こうして私は『自分は太っている』『太っているということは醜く異常な状態である』『自分は太っていることによって惨めで恥ずかしい思いをしている』というようなことを理論ではなく感覚で理解してきたのである。

 

では、なぜ痩せようとしなかったのか。ここに、おそらく普通~痩せ体型の人のみならず同じ肥満体型の人ですら理解できないかもしれない考えがある。当時の私は、『自分の体型は何をしようが一生変わらない』と思い込んでいたのだ。

 

TVで『奇跡の変身!100kgから53kg!』と事細かにダイエットの方法が説明されている番組を観る。親から「同級生の○○ちゃんが炭水化物抜きダイエットで痩せたんだって」と聞く。

 

しかし私は、やってみようともせずに「それは私には出来ないことだ」と思い込んでいた。面倒だから諦めていた、というのとも少し違う。確かに私が面倒臭がりであらゆる快楽に弱いことは否定出来ない。

 

でもそれよりもっと異常な考え、例えるなら違う生物の体についての話を聞いているような感覚しかなかったのである。「私は肥満生物だから、人間が痩せただの太っただのいう話は関係ない。普通生物のダイエット法は私には効かない」というような。

 

理論でそう思った訳ではない。ちなみに当時の私には理論という概念がなく、『考えたこと』というのは全て『感じたこと』でしかない。そんな「私は生まれてから死ぬまで太っている生物なのだ」という感覚が、脳の深くにこびりついていたのだ。

 

そんな感覚だから自分はもちろん、他人の体型のこともよく分からない。先述の『同級生の○○ちゃん』を見ても、痩せたという状態がよく分からない。興味がない、とか毎日見ているから分からない、というレベルの話ではなく、本当に『人間の体型の変化が分からない』のである。変化どころか、目の前の人が太りぎみか痩せぎみかもさっぱり分からないのだ。ただぼんやりと『人だな』と思って認識するだけ。

 

さすがに見ていて心配になるほど痩せすぎの人や自分と同じような重度肥満の人を見れば「痩せている」「太っている」と感じることが出来る。それは反対に言えば、よっぽど極端な体型の人でない限り私は「痩せている」とも「太っている」とも感じられないということなのだ。

 

だから鏡を見ても『自分が奇形といえるほど重度の肥満であること』について深刻に受け止めることが出来ない。「みんなが太ってるって言うし、自分でも大きいなと思うし、体重を計れば重いし、私は太ってるんだ。嫌だな。どうしてかな」信じられないことに、本当にこのくらいの感覚なのである。

 

そしてまた行事ごとに写真や動画を撮られ、自分の姿を見ては「私だけこんなに大きい!嫌だな、みんなからは普段こんな風に見えてるんだ…。」とショックを受け、恥ずかしくなり、でも『自分は肥満生物だから』という誤った認識があるのでどうしようもなく時が経つ、という流れであった。

 

その感覚は高校生になっても続く。そして高2の時、私は人生最大体重の110kgになる。自宅のアナログ体重計の針が『110』を示す度、さすがに焦りと恐怖が私を襲った。

 

だがその焦りと恐怖もTV等の『100kg以上の体重は本当に異常である』という扱いを見てのものであって、本当の意味で異常であるとは気付いていない。

 

それはともかく当時の私にとってその焦りと恐怖は本物である。しかし極限まで追い詰められた私がしたことは、食事を減らすことでも運動をすることでもなく「次に体重計に乗るときには数字が減っているように祈ること」だけであった。

 

なぜか。しつこく言う。『自分は肥満生物であり、人間が行うダイエットの通用する生物ではないから』という歪んだ認識が脳を支配しているからだ。

 

そんな祈りが通じたのか、現実的に考えるならそろそろ体が限界を迎えたのか、110kgになって以降私の体重は減り始めた。高校在学中はずっと100kg前後をうろうろしていたと思う。そして短大に入り、100kgを切って90kg台後半をうろうろし始める。

 

ちなみに私は高校でも短大でも『学年で一番太っている人』であり続けてしまった。しかも『自分と同じくらいの肥満の人がいたが僅差で一番』とかではなく圧倒的ナンバーワンデブであった。ナンバーツーから下は常に「太っているが、あくまで常識の範囲」レベルであった。これも当時の私には分からないことなので、あくまで今思い返してみての話だが。

 

 

そんな自分を肥満生物だと思い込んだ圧倒的ナンバーワンデブが、初めて『自分も普通生物、つまり人間であった』と知るのはいつか。今から3年前、22歳の春だ。さらっと書くと「糖質制限と軽い断食をして、1ヶ月で10kg痩せた」。

 

体重計が壊れたのかと本気で思った。新しく買ったデジタル体重計なので数値は小数点以下まで表示されるし、前回との比較も出来る。だから、毎日計ると毎日減ってゆくのが分かるのだ。怖かった。信じられなかった。でも、嬉しかった。

 

そして体重計は正常でありこれが現実なのだと知ってからは、心の中が喜びとやりがいでいっぱいになった。1ヶ月で10kg減った後はそれほど大幅な減量はなかったが、それでもそこから継続して最終的には86kgになったとスマートフォンに記録してある。

 

まるで阿呆のようだが、22歳にして初めて大真面目に「自分も他人と同じ生物、すなわち人間だった…」と気付き、心の底から感動した。

 

それから3年、今でもまだ85~90kgくらいをうろうろして今現在は90kgになっているので、厳密にはまだ人間になったと思ってはいけないのだろうが、それでも自分を肥満生物だと感じていた頃とは格段に意識が変わった。今では自分はもちろん、他人の体型もきちんと認識出来るようになった。

 

 

最後に、今回のタイトルは『『学年で一番太っている人』が見ている世界』としたものの、同じ境遇の方が全員同じ世界を見ているとは当然思っていない。ただ、外から見れば『太っている』と認識される子供には、周りが思うよりずっと異常な世界が見えているかもしれないという話である。

 

異常な肥満児を作ることはもはや虐待なのだ。異常に痩せ細った子供がいる家庭に比べ深刻に捉えられていないような印象があるけれども、異常な栄養不足も異常な栄養過多も『通常から大きく外れている』という点で等しく問題にされるべきだと私は思う。

 

当時の私は「TVや漫画の『デブキャラ』はいつも細かいことを気にせずモグモグ食べてヘラヘラしているのに、どうして同じくデブの私は同じようになれないのだろう。この心に刺さるトゲは一体何だろう。よく分からないけど、嫌な気持ちだ」と感じたこともあった。

 

 『自分が人間であり、心が傷付く』という当たり前のことも理解していなかったのである。

 

私の脳みそをここまで停止させたのは何なのか。それが次回書く『精神麻酔』である。

 

最後は今日のお詫びです。途中で運動全般をおちょくりながら批判してすみませんでした。運動関係者及び運動好きの皆さんになんとなくお詫びいたします。

 

<終>

私の歪んだ初体験~時間差3Pとアナルファック~

私は誰とも交際した事がない。好きだと言われた事もなければ、好意を匂わされた事もない。「あの人、あなたの事が好きみたいよ」という噂を聞いた事すらない。

 

でも性経験はある。20人以上。趣味も住んでいる場所も、本名さえ知らない人とばかり性行為をしてきた。異性とどんな話をしていいか全く分からない。でもどこをどのように触れば性的快感を与えられるかはよく分かる。

 

そんな歪んだ状態の始まりとなった、私の初めてのセックスについて書く。なぜ書くか。パーセンテージで表わしてみた。

 

文章にすればさぞ読み応えがあるだろうという自信がある … 50%

あまりにも特殊すぎて自分一人で抱えきれなくなった … 30%

万が一にも自分と同じような境遇の人が見つかればいいなと思って … 20%

 

本題に入る前に言っておくべき事がある。私は幼少時から常軌を逸した肥満体である。顔面のつくり自体醜いうえに分厚いメガネをかけている。髪はだらりと伸びて非常に不潔だった。

学生時の話し方は典型的オタクのような早口。制服は特注サイズ。私服もサイズ最優先の為、見た事のない素材と柄。なぜ言ったか。こちらもパーセンテージで表わしてみた。

 

本題に必要 … 90%

この文章で美しい少女を想像し自慰行為に及ぶ人がいると可哀想なので … 10%

 

 

初めてのセックスの話をする前に、幼少期からのセックスに対する意識がどうであったかということを述べたい。

性の目覚めは小学校4年生頃だったように思う。机の角に陰部を当てて動かすという手法で自慰をしていた。

6年生頃にはセックスの妄想をしていたと思う。当時は存在した父親のエロ本から得た知識で、具体的にどこに入るのかは分からなかったが、とりあえず挿入される妄想をしたり、それと合わせて自慰をしていた。

中1から中2の頃にはシャワーでの自慰を覚え、徐々に指での自慰に移行していった。

 

前述のものは全てクリトリスを使った自慰だったが、当然膣にも興味が湧いてくる。「私の性器には穴があるらしいが、いまいちよく分からない」手鏡で見てみたり、指でつついてみても不明。

「私はまだ処女なので、指では太いのかもしれない。細いものでつついてみよう」こうしてストローが登場。ストローを一応水で洗い、それらしき部分をつつく。しかし不明。

業を煮やしてストローを潰し平べったくする。つついているうちに先端が吸い込まれた。「あ、あった」

一度入れば次も比較的容易に入る。慣れてくれば指も入る。穴の発見を喜んだが、性的快感はなし。

 

そこからどうやって性的快感を得るに至ったかは記憶がないが、中3の半ばには膣も使った自慰で快感も得られるようになっていた。

セックスの妄想の中で、なぜか本当に挿入されているような感覚を味わう事が出来る時があった。快感もあった。寝ている間に見る夢の中でもたまに、セックスで挿入されている感覚を味わえる時があった。

『実は眠っている間に男親から犯されており、その感覚を味わっていたのであった』という事はなかった。中学生の私は純粋に、妄想だけで、男性器を挿入される感覚を味わうことが出来たのである。

 

理解してくれる人がいると信じているが、性の欲求に安定はない。次々に刺激を求め変化してゆくものである。妄想だけでは足りなくなった私は、「早くセックスがしたい」とばかり考えるようになっていた。

 

そんな中で、中学を卒業する3か月程前、つまり中学最後の冬休み明けに、仲の良い友人達が言葉の爆弾を落とした。

「私、この前○○(彼氏)とやったよ」「私も。去年のクリスマスに」

本当に目の前に爆弾が落ちたかと思った。あるいは雷に打たれたかと思った。

今まではみんなで『下ネタ』として扱っていたはずのセックスが、そして私にとっては妄想であり憧れであったセックスが、同じ教室で学び同じ話で笑い同じ時間を過ごして来た友人達にとっては、既に現実の行為として存在していたのだ。

 

ここで私は間違いを犯す。『同じ時間を過ごして来た友人達』と思ったものの、『同級生と両想いになり交際できる友人』と『誰からも恋愛対象として見られていない自分』には相当分厚い壁がある、ということに全く気付かなかったのだ。

 

高校生になると同時に親から携帯を与えられた私は、高校に入って新しく出来た友人に狂った問いかけをする。

「処女捨てたいんだけど、どうすればいいのかな?」新しい友人は中学時代の彼氏と経験済みだと早々に打ち明けてくれていたので、こんな事を聞きやすかったという心理もある。

「××(某SNS)で相手募集すればいいんじゃない?」友人も友人でよくこんな狂った問いに答えてくれたものだと思う。

当然ながら、私は某SNSに登録した。友達の助言もあって、3日位でSNSの使い方に慣れたと記憶している。

 

そしてプロフィールに『高0lです(*^_^*) エッチな友達募集㊥』とかなんとか書いた途端、10件以上のメッセージが届く。

『プロフ見たよ!! 年上でも大丈夫かな??』『こんにちわ~ 写メ見たいな(^^) 』『おっさんでもいいかな!? とりあえず絡も笑』

こんな狂った私でも、個人情報を載せる事の危険性は把握していたので、都道府県以上の情報は載せなかった。顔写真も同様の理由と、どこからどう撮ってもどこをスタンプで隠しても醜くなるので載せずにいた。

こうしてインターネット上のメッセージとはいえ、男性からちやほやされるなんて全くの初めてであった私は舞い上がった。高校生になったこともあり、身の回りの世界が一気に良い方向へ花開いていったような感覚を味わった。

 

今なら全部分かる。本当によく分かる。顔写真なし高1が『エッチな友達募集㊥』。もちろん倫理的に許してはいけない、法的に裁かれるべき、感情的にも気色の悪い話ではある。あるが、…そりゃあちやほやする。

 

こうして私は人生で初めて『モテた』。誰からも選ばれなかった私は、一気にたくさんの相手の中から選ぶ立場になった。

あまりに多く来るメッセージを読むのが面倒になった私は、プロフィールに新たな文言を追加する。『※顔写メないメッセ⇒無視します!!』

こうして顔面体型共に奇形な高校1年生が、数々の大人を顔写真だけで選別するという状況が生まれた。この状況でも自分を客観視し、何かがおかしいと気付ける人は確かにいるだろう。が、私はできなかった。

『自分はモテており、女として価値がある状態だ』。本気でそう思った。

『中学の同級生なんて、たった一人と両思いになって付き合っただけではないか。私はその何倍もの男達から言い寄られ、ちやほやされている。私の方が上だ』とまで。

 

※特定を避けるため、ここからの固有名詞や年齢職業等の情報には嘘を混ぜます。

 

そんな『女として価値がある』私は膨大な数のメッセージをやり取りし、ついに初セックスの相手を選び出す。これが5月上旬のことである。高校入学から1か月経つか経たないかでここまでしてしまった訳だ。

相手は19歳の大学生、ハンドルネーム『えいじぃ』。顔写真はスタンプで鼻と口が隠れているがイケメン風。

本来ならばすぐにでも会いたいところだったが、遠い街に住んでいるという事にして相手を探していたのでそうもいかない。遠い街で会う事で、親や知人に見知らぬ男と会っている所を見られないようにという策であった。

 

「本当は△△に住んでいる」と相手に打ち明け、会う日にちを調整する。ここで私のドケチさと貪欲さが炸裂する。「どうせ交通費と時間を使って遠い街まで行くなら、一日に二人と会った方が得じゃないか?」

急いで『予選落ち』していた『二番手』の中から二人目を選ぶ。28歳、ハンドルネーム『チョロ介』。顔写真はサングラスをかけていてオラオラ系といった感じだがまあまあ好み。

 

うまく時間を調整し、二人と次の土曜に約束を取り付けた。遠い街へ行く交通費は月々の小遣い3千円の中から捻出し、親への口実は「高校の友達と遊びに行く」。全ては揃った、機は熟した。あとはいざ挑むだけである。

 

胸をときめかせながら土曜を迎えた。電車に乗って遠い街へ移動する間もワクワクは止まらない。

車内で中学生や高校生らしき女子を見ては、(この子まだ処女かな、私は今日卒業するけど)などと、まだ何もしていないのに勝手な優越感を覚えていた。即座に殺して薄切りにし、広辞苑の『勘違い』の項に貼り付けたい出来栄えだ。

 

一人目の大学生『えいじぃ』と約束した駅で降りる。えいじぃは一人暮らしなので、彼の家でセックスする事になっている。

そわそわして待っていると、細い若い男が話しかけてくる。「『もぐら』さん?」(私のハンドルネーム。くどいようだがもちろん仮名である)えいじぃは思っていたよりも鼻の下が長く、口が腫れぼったかった。だからスタンプで隠していたのだろうけれど。

「はい…、『えいじぃ』、さんですカ…」「うん。行こっか。カバン持つよ」「ぁ…すません、ッヒヒ」挙動不審になりながらも、異性に荷物を持って貰う事など当然初めてだった私は、(これが彼氏と彼女か~)と思い喜んだ。

 

その日は良く晴れており、照りつける太陽と緊張、それからえいじぃの歩くスピードが速かった事と私が奇形肥満である事もあって、汗ばみ息切れしながらえいじぃの家に向かった。

無言を気まずく思い、「こういうのホッ、よくするんですかァ!?」と尋ねたりもしたが、えいじぃは「ああ…まあ…」とか「うん…まあ…」といった気のない返事ばかり寄こした。

会ってみたら私が奇形肥満で奇形顔面だったから怒っているのだろうか。家に着いて、「やっぱ無理。解散!」と言われたらどうしよう…。などと心配していたが、そんな事もなかった。

 

家に入ると、えいじぃは麦茶を入れてくれた。氷も入っていた。床に座ってそれを飲みながら(冷たくておいしいな。)と思っていると、えいじぃが横に座り、胸に手を伸ばしてきた。

もう始まるのか!?と若干パニックになりながらも、服の上から乳首をつままれる。気持ちいい。他人に触られる気持ちよさと興奮は私の妄想をはるかに超えていた。

緊張とパニックで固まっていた喉が動いて「あ、あん…」とぎこちない声を発する。えいじぃは困ったように手を離して「無理に声出さなくてもいいよ…」と言った。演技だと思われたらしい。

 

そしてえいじぃは立ち上がり、私の目の前でズボンとパンツを下ろした。衝撃。

『ド…ジャーン』という重たい効果音が聞こえた気がして、今現在も本当に聞こえた音のように耳の奥に残っている。『ド…』がズボンとパンツを掴む時の音、そして『ジャーン』がそれを下ろした時の音だ。

そして現われた初めての生チンコ。陰毛の中にダルダルの皮膚のようなものが眠っている。大変失礼な表現でありお互い様なのだろうが、本当にそれが目の前の人の一部であるという事が信じられなかった。

 

「舐めて…」と言われて我に帰り、恐る恐るダルダルの皮膚を掴んで口に入れる。無我夢中で舐めるうち、念願のフェラチオをしているのだと実感し興奮する。えいじぃの口から「あ…上手いな…」という声が漏れる。初めてなものでよく分からないが、上手いらしい。

余裕のなさそうなえいじぃは息を漏らしながら「舌…もっと…使って…?」と言った。

そういえば以前のやり取りで私は『ドSな感じでいじめられたい笑』と言っていたのだ。『ドSって?』と聞かれ、『んー?? 「舌もっと使えよ」とか言葉責め??されたい(*^^)』と答えた私のリクエストに、精一杯応えてくれたのだろう。

悪いが私は(ありがたいけど何か…こんなに感じながら言葉責めをされても説得力がないな)と思ってしまった。

 

その後えいじぃに促されロフトに登る。奇形肥満なので梯子を登るのも一苦労。心配されながら上に辿りつく。言われるままに寝転がると、えいじぃは事を始めるより先に、横にあったCDラジカセの電源を入れ、音楽をかけた。とある爽やか系男性グループの曲が静かに流れ出す。J-POPに乗って初めてのセックスが始まった。

 

服の上から胸を触られ、服を脱がして胸を触ったり舐めたりされ、再びフェラチオをし、指で性器を刺激されていざ挿入へ。あれ、キスはしないんだ…と思った事をよく覚えている。そしてえいじぃがコンドームを着け、挿入。が、しかし私は何も感じなかった。指でされたときは快感があったのだが、挿入はこれといって何も感じない。

 

私の膣がゆるいのだろうか。前日に興奮して自慰をしすぎたせいだろうか。あるいは相手の性器が小さいのだろうか。ただあおむけで声も表情も無のまま揺らされているだけ。これが処女卒業というものなのだろうか。少しは感じている演技をしないといけないだろうか。この人はこれで気持ち良いのだろうか。

焦りながら様々な思いが頭を巡る。そんな中、懸命に腰を振り続けていたえいじぃの肘がラジカセに当たった。ラジカセの蓋が開き音が止まる。正直ほっとした。音楽が邪魔だったし、これを聴きながら性行為をするというのがどうにも珍妙に思えていたからだ。

 

えいじぃは迷う間もなく性器を抜き、すぐにCDを入れ直して再生ボタンを押した。再び曲が流れる中、私はその後も無表情無反応で揺らされ続けた。えいじぃは間もなく射精したようだった。

「痛かった?」と聞かれ、正直に「あまり何も感じなかった…」と答えると、えいじぃは戸惑ったように「処女でそれは…、すごいね…」と言った。さすがに罪悪感を覚え、「でも指は気持ちよかったよ」と言うと、「指でもう一回する?」と言ってくれたので、もちろんうなずいた。

 

そして指でされ、快感を覚えかけていたのに、えいじぃは途中でやめてしまった。「指も結構疲れるというね…」ともぞもぞ呟いていたので、不満ながらも諦める。まあいい、私には二番手がいるのだから。

 ロフトから降りると、えいじぃがライブDVDをかけ始めた。ラジカセで聴いていたのと同じアーティストだった。(セックスの後二人でDVD観るのって、『恋人』っぽい感じする~!)なんてソワソワしながら座る。

いつ告白されるんだろう、いや私たちはもう付き合っている事になっているのだろうか、という地球よりも大きな勘違いをしながら、さり気なくえいじぃの様子をうかがったり自分の髪を整えたりしていた。氷のすっかり溶けた麦茶を飲む仕草さえ、いちいち可愛く見えるよう工夫した。

 

当然えいじぃは何も言う事なく10分ほど過ぎた。次の約束が迫っていたのと、告白への助け船を出すつもりで「もう帰ろうかな…」というと、えいじぃはあっさりと「うん、じゃあ…」と言った。私は拍子抜けしたが、恥ずかしがり屋だから後でメールで告白されるのかもしれないなとイカれた事を思い帰り支度をした。

 

そして二人目。二人目のチョロ介とはさっきの駅から3つ離れた駅で待ち合わせをしていた。相手は車で来るとの事だった。

メールで『着きました(*^_^*)』と送ると、『近くの△△(コンビニ)にいるから来て 黒のナンバーXXXXだから』

不慣れな土地で時間がかかりながらも到着。メール画面とナンバーを見比べ、車の運転席側に近づく。チョロ介が車内からこちらを見て、窓を下げた。「『もぐら』?」「あ、はィ…」「いいよ。乗って」助手席側を指さす。

 

チョロ介の顔は写メ通りであった。オラオラ系の頂点にいる坊主のあの人からカッコ良さを抜いてガラの悪さを入れた感じ。

「歩いてくるとこ見てすぐ分かった」「え?なんでですか?」「いや、なんとなく」と笑ったチョロ介に対し、私は(運命かも。とか言ってくれればいいのに…)と思ったが、実際は『出会い系でタダマンしてそうな奇形デブスだから』だろう。

 

「処女なの?」「あ、さっきまで」「さっき!?」私は得意になって、「そう!ついさっき捨ててきました」と答えた。「まじかよー。してくんなよ」私の欲しかった一言だ。「え?どうして?」と小悪魔のような気分で尋ねた。

私の筋書きでは、チョロ介は『お前の処女が欲しかったからだよ』というような『俺様で甘い』答えをくれるはずだった。しかし現実のチョロ介は「いや、別に…」と言うだけだったので、私はがっかりした。

 

そしてラブホに着いてからセックスが始まるまでの記憶が飛んでいる。8年も前の事だし、その後の衝撃が強すぎたためでもある。

とにかく真っ赤で狭い部屋の中、私はベッドで四つん這いになってチョロ介に性器を愛撫されていたのである。この時もキスはされなかったと思う。壁に埋め込んであるTVではAVが流れていた。本当はセックスに集中できないから消して欲しかったが、何も言えなかった。

 やがてチョロ介はひやっとした液を私の肛門に塗った。後から分かったがこれはローションだ。そして肛門への愛撫が始まった。普通の人であればここで何か言うのであろうか。この日やこの場面に限った事ではないが、私にはずっと普通が分からない。

お尻の穴を触らないと興奮できない人なのかなあ、変なの。くらいに思って肛門を触られ続けていた。快感一切なし。

 

肛門に指が入り、出ていき、入り、出、入り、出、突然の強い痛み。一拍遅れて、男性器を挿入されたのだと気付いた。それは聞いていない、当然承知もしていない。

「いたい、いたい。」部屋中に響き渡る声で言ったが、男は止まらない。『痛い』ではなく「いたい」だった。私は『い』と『た』と『い』の音が独立した「いたい」を叫んでいた。

あれから何度も、上手い比喩を探したが無理だった。『普通の座薬を入れたと思ったら男性器の太さだった』という、全くそのままのたとえしかできない。

 

「うるさい」とか言いながら口を塞がれたが、声は出続けた。チョロ介が満足したのかやっと性器を抜くと、私は全身の力が抜けてぐったりと寝そべった。チョロ介はその様子を見ながら「ハハ、ダラーンとして…」と笑い、部屋の中をうろうろし始めた。

頭の片隅で何をしているのだろう…と思っただけで聞いてはいないのにチョロ介は言った。「ゴムの二個目がねーんだよなー。さっきのでやると、汚ねえじゃん?アハハ」ああ、次は本来の穴でやろうとしているのだと気付いた私は(良かった)と思った。

せっかくここまで来たのに性器への挿入なしで帰らされるのは辛い。痛い思いだけでなく、快感も味わわなくては。当時の私の考えは、果てしなく異常なのである。

 

チョロ介がコンドームを見つけ出し、再び私の性器を触ってから今度はちゃんと性器に挿入した。しっかりと奥まで入っている感覚があった。一人目のえいじぃとは全く違う感覚だった。

そして驚く事に、前述した『処女の頃、妄想や夢で体験した感覚』と何も変わらなかった。快感もある。声が出る。「どうだ?」と聞かれて、「気持ちいい…」と答えると、「これでやっと貫通ってとこか」と言われる。先程の車内で『一人目の時はあまり挿入の感覚がなかった』と話していたのだ。

 

しばらく快感を味わっていると、残酷な事を言われた。「お前なんかゆるい。イけないかも」私は焦った。やはり前日に自慰しすぎたか?いや、先程のアナルファックで脱力したのが原因かもしれない…。

「え、うそ…」と呟いて懸命に膣を締めた。チョロ介はAVを観ながら腰を振っていた。そして射精したであろう瞬間も、彼は私ではなく壁のTVで喘ぐAV女優を見つめていた。

 

終わってから部屋を出るまで、どちらも何も言わなかった。シャワーを浴びて服を着てうろうろしながら狭い部屋ですれ違う瞬間もお互い無言だった。

セックスをした二人が、街ですれ違うかのように無反応で過ごしているなんて奇妙で少し面白く、そして少し怖いと感じた。

ここからまた記憶が途切れる。次の場面ではもう私は帰りの電車に乗っている。帰りの電車は人が多く、私は扉の近くに立っていた。立っている間ずっと肛門に違和感がある。痛みは当然ながら、普通にしているはずなのに肛門が開いてしまっているような感覚。

 

散々汚い話をしてきてここで汚い話ですが、と断りを入れるのも何ですがここで汚い心配をしたよ、という話をします。

私は(もしかしてうっかり大便が漏れてしまうのでは…)と怖くなり、必死で肛門を閉じたりスカートの上からそれとなくお尻を触って大便が漏れていないか確認したりした。

結果としては全く漏れていなかった。しかし電車を降りて家に着くまで冷や汗が止まらなかった。

 

初体験の話としてはここでおしまいである。

後日談としては、えいじぃからの告白メールを待ったが当然来なかったので悲しくなってメール受信拒否をしたり、チョロ介に対してはアナルセックスはきつかったが見た目も嫌いではないし、

「処女捨ててくんなよー」と惜しむような事を言ってくれたし、まあ向こうの出方次第では付き合ってもいいかななんて事を思っていた。

その内SNSで見つけた新しい相手とメールのやり取りをするようになりチョロ介のメールを無視していたらチョロ介から自慰動画が送られて来て、(私の事好きだからってこんな動画送ってきちゃって…もう)と憎からず思いながらも、

後から考えると断りなくアナルセックスをされた事が許せなくなり、また新しい相手がどんどん増えていたためメール受信拒否をして終わった。

当時の私の異常性を実感して欲しいので付け加えると、もし新しい相手が一人も見つからない状況であれば、付き合えるものだと信じてチョロ介との関係を続けていたと思う。

 

こうして自分で書いていても、当時の私の精神そして考え方は恐ろしいほど狂っていると感じる。でも知らなかったのだ。付き合わないどころか告白すらされないセックスがあるという事も、キスをしないセックスがある事も、それから、一言も尋ねず肛門に性器をぶち込まれてしまうセックスがあるという事も。

 

少女漫画ではセックスをする二人は付き合っていたし、AVではキスをしていた。だから私の頭の中では『付き合っていない二人がセックスをする=後程付き合う』という式しかなかった。現実で異性に女どころか人間扱いもされず、片思いさえ全て頭の中で始めて終わらせて来た私には。

 

…などと書くと全面的に被害者面が出来て非常に気分が良いのだが、そうもいかない。SNSへの登録も、性行為をする相手の募集も、全て自分の意思で行ったことである。

むしろ暴力をふるわれたり殺されたりしなかった事をありがたいと思えクソボケとも書きたくなる。性病に罹ったり、妊娠したりする危険性まであったのに快感を求めて愚かな行動に走った醜い肉塊が、とも。

 

ここまで読んで、『高校生にインターネット環境を与える事は危険!』だとか『少女漫画は危険!』などと思う人が万が一いたら、それは全く違うので考えを改めて欲しい。これは特殊すぎるケースだから。こんなとんでもない事をするような人間、そうはいないから。

自尊心が低くいつも愛情を求め、顔面も体型も奇形でなおかつ性に貪欲な精神のおかしい子供に育った私だけだと思う。『環境の問題(毒家庭・最悪な容姿)+本人の問題(異常性欲・異常精神)』というのはそうそう揃わないのではないだろうか。

 

どんな環境だったのか、その中で異常性欲と異常精神がどう育っていったのかについてはまた今度書きたい。あとこの後もずっと続く、歪んだ形の異性との関わりについても書いていきたい。

今まで誰にも話せなかった汚くて頭おかしくて面白いエピソードがいくつもあるのだ。

 

最後は今日のお詫びです。『時間差3P』は皆さんを惹きつけるための詐欺に近い造語でした。正しくは『掛け持ちセックス』だとか『はしごセックス』と書くべきでした。慎んでお詫びいたします。

<終>

shin5氏に敵意的なツイッターユーザーの真実

フォロワー数21.3万(2016年3月現在)、最近ではツイートを漫画化した書籍まで出版されたというshin5氏。この活躍ぶりから分かる通り、彼のツイートに対し羨望や憧れの意思を示すツイッターユーザーは数多くいる。
しかし一方で彼のツイートに対する嫌悪感を示し、その不自然さなどを指摘したり批判したりするユーザーも少なくはない。
今回はshin5氏に対するツイッターユーザーの反応から分かることを私なりにまとめてみたいと思う。


※この考察はあくまで独自の見解によるものです。


まずはshin5氏の主なツイート内容を、私が把握した限りでざっくりと説明したい。

・shin5氏と家族(shin5氏と再婚された奥様、奥様と前のご主人の間のお子様1人、shin5氏と奥様の間 の双子のお子様)の日常エピソード
・shin5氏と奥様とのLINEトークをスクリーンショット保存した画像
・エピソードではないが、家族への愛や想いなどを短文でつづったもの(いわゆるポエム)
・shin5氏自身の職場などでのエピソード

こうしたほのぼのする内容の最後に、shin5氏が奥様にやや辛辣な言葉をかけられるといった落とし所があるものや、最後まで家族への感謝を述べるなど特に落とし所は作らないものがある。


次はshin5氏のツイートに対し羨望や憧れの意思を示すツイッターユーザー、つまりshin5氏に対し好意的なユーザーの特徴について考えてみる。

・物事をあまり疑わない
ツイッターを現実生活の延長として利用している

shin5氏のツイートはフィクションではないということなので、単純に言うとshin5氏の家庭では上記のようなほのぼのした、落とし所もきちんとあるエピソードが毎日のように起こっていることになる。
shin5氏に好意的なユーザーはそれを「作り話ではないか」などと疑うことなく受け入れ、「自分もshin5氏のような恋人または配偶者が欲しい」「自分もshin5氏のような家庭を作りたい」というリプライやツイートをするのである。

また、こうしたユーザーはツイッターのアイコンを自分(であろう人)の写真にしたりユーザー名を本名(であろう名前)にしたりしていることが多く、自己紹介欄にも自分の所属する学校や企業、住んでいる場所などを記している。
仮にアイコンやユーザー名自体は匿名性の高いものであっても、ツイートの内容で個人情報やそのヒントになるようなものを明かしてしまうようなユーザーが多い。現実生活の中で誰かに話しかけるような気持ちでツイッターを利用しているような感覚が見てとれる。


以上のことから反対に、shin5氏のツイートに対し嫌悪や批判の意思を示すツイッターユーザー、つまりshin5氏に対し敵意的なユーザーの特徴が見えてくる。

・物事を疑ってかかる
ツイッターと現実生活とが全く別物である

shin5氏に対し敵意的なユーザーは、shin5氏のツイートを「作り話ではないか」と疑い、LINEのスクリーンショット画像についても「奥様と打ち合わせをしてからトークを送りあっているのではないか」と疑う。
疑うだけではなく過去のツイートや画像などを手掛かりにその矛盾や不自然な部分を検証し、自分のアカウントでツイートする。その行為が原因でshin5氏からアカウントブロックされることもあるらしい。

そしてこうしたユーザーのアカウントは匿名性が高い。アイコンには芸能人や何らかの作品など既存の画像を使用し、ユーザー名も実名とは全くかけ離れている(であろう)ものになっている。

ツイート内容もそれに伴い、個人情報やそのヒントを不用意に明かすことは少ない。また、とても現実生活では発言できないような言葉や表現のツイートも多く、こうしたユーザーのなかではツイッターと現実生活が全くの別物であることが分かる。


shin5氏に対し好意的なユーザーと敵意的なユーザーが対照的であることが分かったところで、いよいよ本題に入る。
shin5氏に対し敵意的なユーザーが本当に思っていることとは何なのか。

ただshin5氏のツイートが気に入らないだけであればブロック機能を使って目に入らないようにすればいい。それなのにshin5氏を嫌悪、批判するツイートを続けるのはなぜなのか。
『のろけが不快』『嘘くさい』『ツイッターで金儲けをすることが気に入らない』『注目を浴びていることが羨ましい』など理解しやすい理由も多々ある。

しかし私が挙げるのは、『shin5氏に対し好意的なユーザーへの恐怖』だ。
敵意的なユーザーは、shin5氏自身を最も嫌悪し、批判しているように見えるが、その裏には『恐怖』があるのだ。

自分と同じツイッターユーザーであり、リプライやリツイートなど同じ機能を使いこなしながらも、『ほのぼのとした起承転結のある出来事が毎日のように起こる家庭』を疑いもせず、あろうことか憧れ、自分もshin5氏のようになろうとする人々への恐怖。

自分もLINEの仕組みを知り、使いこなしているはずなのに、『毎回スクリーンショットに収まる範囲内で起承転結のあるやり取りをする夫婦』に不自然さを感じることなく、皮肉でも何でもない素直な賞賛を示す人々への恐怖。

ツイッターやLINEに疎い高齢者でもなく、幼い子供でもないはずの(好意的なユーザーは全体的に年齢層が若そうだという感覚はあるにしても)、自分と何ら変わりのない人間のはずなのに、同じツイートを見たときの反応が『あまりにも素直すぎる』という恐怖。

それに比べると、shin5氏自身への『恐怖』はそれほど強くない。
仮にツイートが作り話であったり、LINEの文章がいちいち奥様と打ち合わせた上で送り合ったものであるならば、そこには『注目を浴びたい(リツイート数を増やしたい)』、『収入に繋げたい』といった計算が発生しているからだ。

現実でいちいちツイッターのことを意識して生活している家族が存在することについて若干の恐怖はあるが、上記のような『あまりにも素直すぎる』という恐怖はない。

『自分が注目を浴びるわけではない』し、『一円の収入にもならない(むしろ本を買った場合、支出することになる)』のに、何の疑問を持つこともなく目の前に記されたエピソードを受け入れる人がいるということが、shin5氏に対し敵意的なユーザーには恐ろしくてたまらないのである。

だから敵意的ユーザーはshin5氏のツイートの矛盾点を探す。shin5氏のツイートは不自然だと言い続ける。好意的ユーザーにも気付いてほしいのだ。疑問を持ってほしいのだ。

しかし好意的ユーザーはそんなツイートを見ても、『shin5氏の悪口を言っている』としか思わない。深く考えることをしない。敵意的ユーザーを疎ましく思い、時にはブロックもすることだろう。

こうして好意的ユーザーと敵意的ユーザーの間にある溝はどんどん深くなっていく。おそらく永遠に分かりあうことはできないだろう。

よってshin5氏の活躍が終わるときまで、敵意的ユーザーによる『好意的ユーザーへの恐怖』を根源とした矛盾点指摘や批判などは続くものと思われる。
<考察・終>



<私自身の意見>
私はそもそも、恋人または配偶者との愛情や家族との良好な関係を述べる文章は大嫌いなので、shin5氏に限らず『ほっこり』を売りにするようなアカウントは見ないようにしていた。
しかしshin5氏やてぃ先生などに対する皮肉や批判を読むうちに面白くなり、そういったアカウントに興味を持つようになって、今回の記事を書くに至った。

ちなみにてぃ先生に対しては、140字以内で毎回きっちり起承転結をつける技術は素直にすごい。でもてぃ先生のツイートを見た一部の保護者が『うちの子も今日何か面白いこと言いませんでしたか?』なんて保育士さんにしつこく聞いて困らせたりしてそうだなと思うと憂鬱な気持ちになる。くらいの感想である。

しかし、仮にshin5氏やてぃ先生が『閲覧無料のツイートでファンを集めておき、そのファンに本を購入さ せて収益を得る』という事業戦略としてツイッターアカウントを運営しているとしたら相当やり手な人たちだなと思う。

この売り方は数年前に流行った『ケータイ小説』と同じではないだろうか。『恋空』を皮切りにいくつものケータイ小説が書籍化され、漫画になったり映画になったりしたことを思い出すと、実によく似ている。

恋空が流行ったとき私は中学生だったのだが、あらすじだけをネットで見て「こんな内容のものが売れるなんて今の同年代はどうなってるんだ」「だいいち日本語なのに横書きの小説なんて読めたものじゃない」などと心の中で批判していた。周りの同級生よりは本を読む人間だったので、いっぱしの文学人間気取りでいたのである。

その後内容が気になって、結局恋空を読ん だ(友人に借りた)が、「確かに形式が新しいな……」くらいの感想しか抱かなかった。私が恋愛小説自体をあまり受け付けない人間だからなのかもしれない。

あと当時恋空に影響された同級生の女が同級生の男(ヒロシ:仮名)のことを「ヒロ」と呼び始めたのは今思い出しても本当に気色が悪い。怖い。

だから今も、ほっこりツイートの群れに心温める同級生を冷ややかな目で見ながら落胆や恐怖を味わっている人がいるだろうなと思う。でもあなたは間違っていない。心温めている同級生も、決して間違っているという訳ではないのだけれど。私は冷ややかな目で見る人の方が好きです。というより心温める側の人と関われる自信がない。
<終>

加藤紗里はなぜここまでバッシングを受けているのか?

2015年末から特大級のニュースが続く中、報道記者の方からは『箸休め』なんて言われているらしい、狩野英孝を取り巻く女性関係のニュース。私は『加藤紗里はなぜここまでバッシングされているのか』について考えてみたいと思う。

※この考察はあくまで独自の見解によるものです。

まずは加藤紗里に対するバッシング内容を大きく3つに分類してみることにする。バッシング内容は以下から集める。加藤紗里のアメーバブログに寄せられたコメント、ツイッターで『加藤紗里』と検索してヒットしたツイート、グーグル検索で『加藤紗里』と検索してヒットしたサイト(2ちゃんねる等)。
もちろんこれら全てを把握することは不可能なので、内容はある程度流し読みになってしまう。また、バッシングコメントを書く人が『加藤紗里』という正規表現をするかというとそれも疑問である。『狩野英孝の彼女』といった表現や『加藤 沙 里』などの誤字の方が圧倒的に多いとは思う。だが、さすがにそこまで時間をかけられないので、内容に偏りがあることをご了承願いたい。
その上で分類した結果がこれである。

1.加藤紗里の外見へのバッシング
2.加藤紗里の発言・行動へのバッシング
3.加藤紗里が注目を浴びていることへのバッシング

この3つを更に細分化したい。

1.加藤紗里の外見へのバッシング
 ・顔(高い鼻、突き出た頬骨等)、体型(痩せすぎ等)
 ・美容整形手術を受けたり覚醒剤を使用しているのではないか等

2.加藤紗里の発言・行動へのバッシング
 ・虚言(狩野英孝の意見と相違している、年齢詐称等)
 ・川本真琴への配慮が足りない等

3.加藤紗里が注目を浴びていることへのバッシング
 ・不快だからメディアに出て欲しくない等
 ・一連の行動は売名行為ではないか等

ざっと見た感じではこのようなバッシングが多かった。便宜上分類したが、1と2と3などそれぞれの要素が複合したバッシングコメントも多々ある。
さて、興味深いのは狩野英孝と交際しているという事実に対するコメントがほとんどないところである。芸能人の交際報道によりバッシングが発生する場合というのは、大抵『交際している事実に対する嫉妬や羨望によるもの』であったはずである。
交際報道ではないが例を挙げれば、2015年末に放送された『ガキの使いスペシャル 笑ってはいけない探偵24時』にて、SMAP中居正広とおかずクラブのオカリナがキスをする場面があり、放送直後オカリナのツイッターアカウントに多くのバッシングコメント、果ては殺害予告までが寄せられたということがあった。
しかし今回の件については、例えば『私は狩野英孝のファンであるから、彼と交際している加藤紗里が許せない』といった種類のコメントは私の確認した限りでは見当たらないのである。ではなぜ加藤紗里はこんなにバッシングを受けているのだろうか。

交際報道後からブログ記事には概ね1000件、2000件越えのコメントが付き、中でもロンドンハーツ出演後に更新された記事には4000件ものコメントが付くようになった彼女。もちろん彼女を応援するコメントもあるが、私の見た限りではほとんどがバッシングである。
わざわざブログにアクセスし、文章を考え(たとえそれが短文の罵詈雑言であっても)、書き込む。非常に手軽なことではあるが、普通はなかなかそこまではしない。裏を返せば、加藤紗里には『わざわざブログにアクセスし、文章を考え、書き込ませる』だけの何かがあるということである。
もちろんブログ以外の媒体でも同じことだ。これだけ多くの衝撃的なニュースが溢れている時期にも関わらず、加藤紗里に対するバッシングが書かれるということは、やはり彼女には話題になる何かしらの原因があるのだ。
その原因を私なりに考え、再び箇条書きで挙げていこうと思う。

1.「整形や覚醒剤を使用しなければあんな外見にはならないよね?」という『公正世界仮説』によるもの

まず『公正世界仮説』という何やらかしこまった用語について説明したい。簡潔に言えば、『正しく生きていれば正しい結果が返ってくるはずだ』と思いこむ考え方のことだ。
例えば近所で通り魔事件があったとする。その場合、『被害者は夜中に出歩いていた』とか、『被害者はみだらな服装をしていた』とか、被害者に非のあるような情報を得ると何となく安心する。その裏側には、『私は夜中に出歩いたり、みだらな服装をしたりしないから通り魔には遭わないだろう』という意識があるのだ。
では反対に、『被害者は昼間に健全な服装で人通りの多い道を歩いていたにも関わらず通り魔の被害に遭った』とすると、『誰でも通り魔に遭う可能性がある』ということになり、不安を覚える。
ではどうやって安心を得るかというと、被害者の非を自ら探しだすようになるのだ。『被害者は通り魔に対し、過去に暴言を吐いたに違いない』などと、自分の安心のために被害者を非難するようになる。これが『被害者非難』である。その裏には、『私は暴言なんて吐いたりしないから通り魔には遭わないよね?』という意識がある。
さて今回の加藤紗里に対するバッシングではどういった『被害者非難』(厳密には彼女は何の被害者でもないのでこの表現は適切でないが、便宜上こう表記することをご了承願いたい)が起きているかというと、ずばり『私は過度の整形なんてしないからあんな尖った顔にならないよね?』『私は覚醒剤なんてしないからあんな骨ばった体にならないよね?』である。
通常のダイエットをしている、あるいは摂食障害を患っている女性にとって、手術や薬物なしに体重が低下した結果として彼女のような外見になるという事実は恐ろしくてたまらないのである。しかし加藤紗里は整形手術にも覚醒剤使用にも「やってません」と答えている。
しかしそれを事実だと認めることは、『私も痩せすぎるとああいった外見になる可能性がある』と認めることになってしまう。だから女性は自分を守るため、『被害者非難』をするのだ。

2.「何の取り柄もないくせに注目されやがって」という嫉妬
これは加藤紗里に対するバッシングに限ったことではないが、自分から見て特別優れた部分がある訳でもないのに注目を浴びている人物を見たとき、人はあまりいい気持ちにはならない。ましてや普段から『自分も注目を浴びたい』と思っている人間なら特にそうだ。
『ただ狩野英孝に何股もかけられただけの女が、ぽっと出のくせに色んなテレビ番組に出て生意気な発言しやがって』という嫉妬が不快感に変わり、バッシングコメントを書かずにはいられなくなるのである。
また加藤紗里も加藤紗里で、自身のツイッターに寄せられたあだ名(自分の外見を元に付けられた辛辣なもの)やブログに寄せられたバッシングコメントなどを自らブログ記事に載せて開き直っているような文章を書いているため、『こんなに言ってもまだ効果がないのか』とバッシングも過熱するのだろう。

3.アメーバブログのコメントを非承認制にしているため
単純な理由になるが、アメーバブログのコメント欄には承認・非承認機能が設けられており、承認を選んだ場合、コメントは本人が検閲してから公開するか非公開にするか決定することができる。非承認を選んだ場合はコメントされた時点で公開される。
芸能人ブログの場合は少し違い、アメーバブログのスタッフが検閲を担っているらしいという情報も目にしたが、詳細な情報を得ていないためその点は残念ながら割愛する。ともかく、ブログの著者である芸能人に対する誹謗中傷や厳しい意見等は載らないようになっているようだという意見がある。
ところが彼女は今回の報道後に更新した記事の全てを非承認にしている。つまり本人あるいはスタッフの検閲なしにコメントが公開されていくのである。ちょっとした匿名掲示板状態になっているともいえる。
彼女もさすがに全てのコメントに目を通すことはできないだろうが、それでも本人に直接届く可能性の高い意見を、匿名で長々と記すことのできる場所と化した彼女のブログコメント欄が賑わうのも当然といえば当然なのかもしれない。

その他に加藤紗里がバッシングを受ける理由もあるだろう。川本真琴のファンが川本真琴を守ろうとしているとか、そもそもそんなニュースどうでもいいのに何度もメディアに出てくることが不快だとか。ただそれらは他の人も思いつくだろうし、詳細を書く程のことではない。

最後に私自身の意見を述べて終わろうと思う。結論から言ってしまうと、私が芸能人としての加藤紗里のファンになることはない。写真集やらCDやらを出しているようだが、私はそれを一切買わないし、時が経つにつれ彼女のブログも見なくなるだろう。
失礼ながら2ちゃんねるかどこかで『ワンピース』のキャラクター『ドフラミンゴ』に似ているという彼女の写真が貼られているのを見たときは声を出して大笑いした。本当に似ていたのだ。
それでも彼女が2月11日に更新した記事『謝罪・・・』の中で
『(略)そしてあんまり言いたくないんだけど、紗里は上京して一人暮らして 毎日誰も支えてくれない環境で1人で泣いてるよ~笑笑笑 え、みんなリアルに平気でいると思ってる?笑 毎日、おいロバとか言われんだよ笑(略)』
と書いているのを見れば嫌でも同情の気持ちが湧きあがる。
サンデー・ジャポン』に出演した彼女が、生放送だからか微妙に噛みあわない受け答えをしたり、キャラクターにそぐわないまともな意見を言って軽く場を白けさせるところを見れば人間味を感じる。
繰り返しになるが、私が彼女のファンになることはない。彼女に関連する商品を買うこともない。ほとぼりが冷めてしまえば、今私の中にある彼女や彼女へのバッシングに対する興味も消えるだろう。
それでも今このひととき、良くて面白おかしく、悪ければ辛辣な批判でもって取り上げられる彼女のことを、私は決して嫌いではない。万が一、加藤紗里さんご本人がこの記事をお読みになることがあれば、こういうファンでもアンチでもない人間も中には存在するということを忘れないでほしい。などと思ったりするくらいには。
<終>